2012年の夏、北欧を旅する機会があった。 シリアラインの客船に乗りたくてまずヘルシンキに一泊。夕方発のシリアラインの最上階(コモドアクラス)の部屋には高級ワインのサービスもあった。朝着いたストックホ …
かつて、房総半島の鉄道は夏になると急増する海水浴客のために、定期列車の倍くらいの臨時列車を増発して対応した。今や内房線の館山方面には優等列車が無くなり、夏期輸送など死語になっているが、1960~70年 …
長野でD50360のキャブに添乗という貴重な体験をさせてもらった私は、準急「おんたけ」で翌早朝名古屋に着いた。長野~名古屋の夜行列車は準急「きそ」が定番だったが、その1時間前を走る「おんたけ」は多客期 …
1964年の夏、高校3年生だった私は、もうすぐなくなるといわれていた大正の名機C51とD50にどうしても会いたくて、本来なら寸暇を惜しんで受験勉強をする時期に、学校と予備校の夏期講習直前2泊(夜行)2 …
5月というと私には成田空港開港の思い出がある。いわゆる成田闘争の影響で、成田空港(新東京国際空港)の開港は遅れに遅れたが、ようやく1978年5月20日に開港となった。その日私は日本青年代表団11名の一 …
今年2月17日のコラムで加悦鉄道の蒸気機関車の話を書いたところ、その帰途に寄った淡路交通の写真を、というリクエストがあった。丹後山田の後どうやって淡路島に行ったか詳細な記憶がなかったのだが、探したらそ …
房総半島の中央部のやや南。鉄道旅では千葉県で最も行きにくいところの一つが大多喜町。徳川四天王の一人本多忠勝が築いたという大多喜城や風光明媚な養老渓谷を抱える文化の香り高い町で、1988年に第三セクター …
昨今、安価で栄養価の高い食材としてサバの缶詰が人気になっているようだ。そうだ、あれがあった。私は学生時代鉄道のものを幅広く集めていて、貨車の車票にも手を出していた。当時の貨物列車はいろいろな種類の貨車 …
1999年、つまり20年前の夏、スイスで鉄道に乗る旅をした。当時はまだ無名だったが良質のツアーを行っていたニッコウトラベルのツアーに参加したのだ。氷河特急やベルニナ急行、パノラマエクスプレス、クライネ …