最初のコラム(2018.4.10.)で紹介した鶴居村営軌道について、釧路新富士郵便局が昨年2月10日から風景印を新規に使用し、そのデザインに鶴井村営軌道のディーゼルカーを採用している(別図)、との指摘が友人からあった。実は私もそのことを、日本郵趣協会(JPS)鉄道郵趣研究会の会報で知ってはいたが、現物をまだ入手していなかった。しかしご指摘をいただいたからにはもう少し詳しく、当時を思い起こさねばなるまい。
1967年7月15日午前11時ごろ、国鉄(現JR)新富士駅(入場券で日付け確認)裏手の鶴井村営軌道の駅を訪ねた。しかし夕方まで列車はない(①時刻表)とのことで「また来ます」と言って、まずは近くの釧路臨港鉄道のC11が牽く石炭列車を撮り、午後2時すぎ再び訪れた。すると時刻表にはない貨物列車が小さなディーゼル機関車(DL)に牽かれてやってきた(②)。積み荷は写真には良く写っていないがミルク缶(搾乳後の原乳を入れる容器)が5本ほど。つまり牛乳を運んできたのだった。その写真を撮っていると近所の子供たちが集まってきた。あれから半世紀、みんなどうしているかなあ。一緒に写真を撮った(③)が、シャッターを押してくれたのは駅長を務める和装の老婦人Iさんで、その1か月後に一部区間が廃止になったと知らせてくださるなど、翌年の全線廃止後も数年は年賀状などのやり取りが続いた。
夕方になり下り2便16時15分発中雪裡/新幌呂行きに乗車。途中の下幌呂で2方向に分かれるのだが車両は1両だけで新幌呂行きだ。行ってみて分かった。下幌呂に近づくと前方に1両のディーゼルカー(DC)が停まっているのが見えてきた。エーッ!追突?というその直前、
こちらはクイッと左に曲がり停車。車両の先端右側の前方ドアを停車していた中雪裡行きの車両の後部左側のドアにピタリの位置に横付けしている(④)。両方のドアを開けて中雪裡方面の乗客は無事に乗り換え。私はここで降りて徒歩7~8分ほどの国道で10分後に釧路行きのバスが来る。それが終バスだからそれに乗るように言われていた。バスには「カメラを担いだ若者が一人乗ると伝えてある」とも言われてまあなんとありがたいことか、感謝しつつ、2方向に分かれて発車した列車を後方からだが撮影(⑤中雪裡行き、⑥新幌呂行き)して、もうすぐ廃止になる簡易軌道に別れを告げた。⑤の写真にある看板には、ここは釧路湿原で丹頂の生息地だと書いてあった。今は軌道跡が釧路湿原探勝歩道になっているのだそうだ。⑥は夕日を浴びて西に向かう後姿。そこへ犬を連れた子どもたちがやってきて、何ともいえぬ雰囲気だったがバスの時間が気になりお話はせず手を振ってあいさつした。当時の下幌呂は分岐駅なのだが駅舎はなく、近くに民家も見当たらず、国道へ出るまでの寂しかったこと。国道に出ると、そこは別世界だったが、今思えば軌道の方が別世界だったのだろう。まあ51年も前のことだ。
釧路市博物館では昨年開催した企画展「釧路・根室の簡易軌道」を今月から常設展にしたとのことである。冊子も11月17日から発売されているので関心のある方はどうぞ。博物館のホームページは下記。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/oshirase/kan-i-kidou.html
また、鶴居村ふるさと情報館「みなくる」にはDC1両と写真②の8tDLが静態保存展示されている。
別の6tDLは紋別郡遠軽町が運営する丸瀬布森林公園いこいの森で、雨宮製作所製21号蒸気機関車とともに動態保存され活躍中。