• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

大学2年生の6月。大学の鉄道研究会の新部員集めが一段落した頃、東武鉄道に残っていた蒸気機関車が全廃され、さよなら列車が走るとの知らせが舞い込んだ。新聞によれば記念乗車券が前売りされ、それを持った人(記憶では300人)だけが乗車できるとのことだった。

発売日6月20日月曜日の朝、大学へは行かず乗車券発売駅の浅草へ向かった。今ほどのことはなく、しかも浅草から佐野線葛生までの往復乗車券なので、高くて余分に買う人はなく、発売後数時間経っていたが窓口に行列などはなかった。

1966年6月26日は日曜日であった。館林まで現在のりょうもう号などはなく、準急でたどり着いた。そこからピーコック社製34号蒸機(写真①)が牽く列車に乗りこむ。客車といっても古い電車の4連を引っ張るわけで、ドア開閉の電源確保のため最後尾車のパンタグラフを上げたままになっている(②復路、下り電車との交換のため10分停車があり、全景の撮影ができた)。

館林発車時は、ホームに「蛍の光」が流れ、広い構内にいる電気機関車が次々に警笛を鳴らして先輩の蒸気機関車を見送った。あちらからこちらから聞こえる「ピーーッ」「ポィーッ」の連続に感動したものだ。もう、よくは覚えていないのだが、車内の大勢の鉄道ファンも何となく静かに明治の音と香りを楽しんでいた。終点の葛生に着くと、後続の貨物列車も蒸気機関車で「Good Bye」のヘッドマークを付けたシャープスチュアート社製の40号機だとの情報。駅近くの渡良瀬川橋梁に私も向かった。(③)

葛生駅の入場券は駅名がゴム印で押されたものだった。そういえばあの頃、私は駅の入場券を集めていて、国鉄(当時)は小さな駅でも駅名が印刷されていたが、東武鉄道は江戸川台駅などあまり大きくない駅の入場券はみなゴム印で駅名が表示されていた。


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