1905年2月23日の夜、シカゴ・ディアボーン街ユニティビルでの4人(ポール・ハリス、シルベスター・シール、ハイラム E. ショーレ―、ガスターバス H.ローア)の会合から出発したロータリーは、1908年サンフランシスコに2番目のクラブができ、その後オークランド、シアトル、ロサンゼルスと拡大。1910年8月15~17日に16クラブで第1回大会をシカゴで開催するまでになった。
このハガキは大会への参加を呼びかける案内状で当時のロータリアン全員(同年6月30日現在の会員数は1,085名)に送られたものと思われる。差出人は後に国際ロータリー事務総長となるチェスレィ・ペリーである。出席登録者は60名であった。
ハガキの消印はシカゴ1910年7月28日で、裏の写真はまだ寒い時期に撮影されたものであろう。ロータリースペシャルと書かれた列車の前に並ぶロータリアン(左から3番目がポール・ハリス)の姿に当時の様子が偲ばれる。有名な写真なのでロータリーの100年史(奉仕の1世紀)などでご覧になった方も多いと思うが、実際に使われたはがきは現存この1枚とされている。かなり気合を入れて入手したもので、第100回大会となった2009年英国バーミンガム大会の友愛の家にコピーをさりげなく展示し、大会委員長にもご覧いただいた次第。
ロータリーはこの大会時点では米国の国内組織であったが、大会後の同年11月にカナダのウィニペグ、翌年には海を越えてアイルランドのダブリンや英国ロンドンへと広がり、国際組織になっていった。アジアへはマニラ(1918年)、上海(1919年)、そして1920年に東京へと伝わった。