• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

秩父鉄道といえば、「SLパレオエクスプレス」のC58363が有名だが、今から50年ほど前、そこは旧型電気機関車の聖地のひとつだった。西武鉄道のE71(ED10)やE61(ED11)、近江鉄道のED14や31、国鉄飯田線のED18や19、身延線のED17各種などといった古い電気機関車たちもさることながら、秩父鉄道には1920年代に自社発注したウエスティングハウス・エレクトリック(米国)製の1型(1~5号機)やイングリッシュ・エレクトリック(英国)製の6~7号機、それに旧・阪和電気鉄道から国鉄(阪和線)でED38となった古豪たちがまだ現役で活躍していた。SLパレオエクスプレスにはいまだお目にかかっていないが、この古い電機たちには一度会いに行ったことがある。手元に残るハグレ(波久礼)とオマエダ(小前田)の入場券①の日付、1976(昭和51)年3月20日のことだった。

秩父鉄道は埼玉県北部を東西に走り、秩父の石灰石を搬出するのが本来の役目で、太平洋セメント(旧・秩父セメント)が筆頭株主の鉄道である。長瀞の観光開発にも力を入れ、東武東上線や西部秩父線との直通列車の運行にも力を入れている。私が小学生の頃には上野から熊谷経由長瀞まで国鉄70系の直通電車に乗った記憶もある。

さて古豪の機関車たち。1型の5号機にはすぐに会えた。②は寄居駅に停車中の姿。車体側面には秩父鉄道の社紋のプレートが誇らしげに掲げられていた。③は波久礼付近の山間を走る姿。④は長瀞の荒川橋梁を渡る姿である。同じ1型ではあるものの6~7号機は容姿が異なり、しかも正面・側面とも非対称で、⑤は7号機の機械室側、⑥は車内通路側である。この日は走る姿には出合えなかった。翌年1月に廃車されたことを考えると、お目にかかれただけで幸運だったのかもしれない。
ED38は、元・阪和電気鉄道のロコ1000型で、1930年に東洋電機(車体は日本車輌)製造。国有化により国鉄阪和線のED38になり、4両中1~3が同時にではないが秩父に集結した。大きなパンタグラフと丸みのある車体が特徴で、製造当時としては人気のある機関車だった。この日は1号機が貨物列車の先頭に立っていた⑦。夕暮れの頃2号機がデキ200型との重連でやってきたが、薄暗くて残念ながら絵にできなかった。
そのデキ200型(1963年日立製作所)は今も2両が現役で、この203⑧はその内の1両。小前田のあたりで撮った。1980年以降の秩父の電機はブルーに塗られているが、私が撮りに行ったときはまだ茶色(栗色)だった。
電車は、今はステンレスの大手私鉄からの譲受車ばかりだが、当時は自社発注の1950年代製の電車(100型)が主流だった。最後にその姿を紹介しておこう⑨。


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