• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

国鉄足尾線といえば、現在は第三セクター「わたらせ渓谷鐵道」と呼ばれる、群馬県の両毛線桐生駅から栃木県日光市間藤駅まで44.1kmの路線である。1911年4月15日の相生~大間々町の足尾鐡道がその始まりで、1914年8月25日に足尾本山まで開通した。もともとは足尾銅山で産出される銅の運搬が目的の路線で、1918年6月18日にその国策上の重要性から国有化され、鉄道院足尾線となった。1973年に足尾銅山が閉山すると客貨ともに減少。赤字路線に転落し、JR化後の1989年3月29日に第三セクターとして生き延びることになった。現在はあれだけ栄えた貨物輸送の面影はなく、観光客輸送を経営の核としている。水沼駅に温泉センターが設置され、トロッコ列車も複数あるようだ。

私は1970年8月23日にこの足尾線を訪ねたことがある。当時、草木ダムの建設により神土(ごうど、現在の漢字表記は神戸)~草木(くさき)~沢入(そうり)の区間で線路が230の住戸とともに水没するため、トンネル内に移設されることになっていた。また、その年の10月には無煙化も決まっていた。その水没になる区間を目当てにカメラを担いで出かけたのだ。
神土駅で入場券を買ったのだが、買う人が多くて売り切れだったのか、売れないから補充していなかったのか、隣の草木駅までの最低運賃区間の乗車券に、入場券のゴム印が押されたもの①がコレクションに加わった。

当時の足尾線はまだ銅関連の貨物輸送があり、ローカル線用のC12が重連または単機で貨物列車を牽いていた。
②は、神土駅に進入する上り重連貨物列車。先頭のC1241は1933年9月16日に、今は新幹線車両や英国への鉄道車輌輸出で有名な日立製作所笠戸工場で誕生した。北海道や中津川、高岡などでローカル線に働き、田端、浜川崎を経て1967年に桐生、1968年高崎第一機関区で足尾線を担当した。私が撮影した1か月半後の1970年10月4日、足尾線無煙化記念臨客をC1246と重連で牽引。その翌月廃車解体された。(無煙化後の貨物牽引機はDE10)

③は、C12163が8‰の勾配を登る下り貨物列車。C12163は1937年7月8日に日本車輌名古屋工場で誕生。四国の小松島で1967年まで過ごし、その間1950年3月25~26日にはC1113と重連で牟岐線のお召列車を牽いた。福島県の平(たいら)を経て1968年10月6日から1970年10月11日まで高崎第一で足尾線を担当。翌年3月に愛知の稲沢第一で廃車となったが、その後岐阜県の高山線上麻生駅前の立派な建物内に保存され状態は良好なようだ。地元七宗町(ひちそうちょう)住民課に申し出れば平日10時から16時まで見学可能。(町HPで申込書のダウンロード可)

最後に肝心の水没区間。渡良瀬渓谷沿いの草木駅周辺は蒸機の列車は暗くて人さまにお見せできるるような写真は撮れなかった。というわけでキハ20×2の普通旅客列車④をご覧いただこう。


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