• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

5年前、2019年7月27日のコラム「DD51が客車急行を引いた夏」に書いたように、かつて、1960~70年頃の房総の夏は海水浴客であふれ、多くの臨時列車が運転されていた。今や房総の海水浴客も減少したが、普段の内房線には君津以南に直通する特急がない。今年のJR東日本の発表では内房線に特急「新宿さざなみ」が最大で1日3往復、館山まで運転されているようだが、週末だけで毎日運転という列車はない。
むかし? 一例として、私の手元にある時刻表1966年7月号の臨時列車のページ①を見ると、房総西線(現・内房線)には急行汐風7往復、快速「かもめ」4往復が掲載されていて、土日運転の急行2往復以外はみな毎日運転である。しかも別に定期列車で急行6往復が毎日運転されていた。それほどに当時の房総、特に内房の夏は混雑した。保田、勝山、岩井、富浦と内房の海は人気だった。臨時列車も外房には3往復の急行清澄が設定されているだけだったので、内房の混雑度がお分かりいただけるだろう。
我々千葉の住民は、両国や新宿から来る急行に千葉駅で乗車するのは困難、というよりほとんど無理で、私も撮影に出かけようとしてひどい目にあったことがある。千葉駅ではもう2等車(現・普通車)には隙間がなく、1等車(現・グリーン車)のデッキ(当時、デッキは客室外扱いのため2等運賃で乗車できた)に何とか入り込んだ。しかもその車両は全国に1両しかない試作のキロ60。本来なら嬉しいはずなのに、ドアが外吊り(のちに普通のドアに改造され格下げされてキハ60-101)の時代で、デッキにいる人の圧力でドアが外側にバタッと外れそうになるのだ。そのドアの構造を知っていただけに、何回も怖い思いをしつつ、何とか無事目的地に着いた。

さて、今まで掲載していない快速「かもめ」とその翌年の「さざなみ」の列車の最後部に掲出されたテールマーク②③をご紹介しよう。「さざなみ」の客車はスハフ42という普段は千葉にいない急行列車用の車で、多分どこかから借り入れたのだろう。
「DD51が・・・・・」のコラムに書いたように、客車もディーゼルカーも足りなくなり、房総の夏臨名物「キハ17系(ローカル線の普通列車用で車体幅が狭い)の急行」が走った。④はその証拠写真で、竹岡付近での撮影。堂々と「急行うち房」のヘッドマークを掲げてやってきた。10両編成中3両目のキハ26以外の9両すべてがキハ17や18だった。
足りないのは蒸気機関車も同じだった。内房線の客車列車は、通常は新小岩機関区のC57⑤(上総湊南方の湊川橋梁で撮影)だったが、足りない時はC58⑥(冨浦付近で撮影)も使われた。このC58は229号機で新小岩機関区所属。普段は貨物列車をよく牽いていた。

何故かこの季節になると、賑わっていたあの頃の暑い房総の鉄道を思い出す。


コメント一覧

返信2024年8月31日 9:33 PM

オクサワ24/

ごぶさたしております。 11月のホームカミング お越しになるのかとお伺いでした。 とはいえ「鉄道」のはなしに行ってしまします…。 ブログ興味深く拝見しました。今はむかし 海水浴、スキー客を鉄道が担っていた時代がありました。 1971(昭和46)年8月、ぼくは高1で、大網からバスで白子か白里へ海水浴に行きました。 千葉まで総武緩行で行き、客車列車にのった記憶があります。けん引はDD51だったと思うのですが… 所蔵の時刻表が、70_8、71_10,73_8では、特定できない次第です。 脱線してしましました、ホームカミングはいかがされますか? 福田・自分(奥沢)は、行く予定なのですが 以上

    返信2024年9月15日 8:27 PM

    Kenichi Hamana24/

    ホームカミングは17回生の同期会もあり、参加の予定です。1971年8月はDD51がいたかどうか確認してみます。DE10ならあり得るのですが。

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