• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

スイスへ鉄道の旅に出かけたのは1998年8月だったからもう四半世紀も前のことだ。
スイスに入って最初の宿泊地はインターラーケンだった。インターラーケンはまさに登山の町だが、一般の観光客にも優しい街だった。西駅と東駅の間の線路沿いがメイン通りで、馬車で街の雰囲気を味わってみた。またインターラーケンはモントルーとルツェルンを結ぶルート(ゴールデンパス)の中間にあって、鉄道の要衝ともいえる地だ。トップ・オブ・ヨーロッパ(ユングフラウヨッホ)への旅の起点でもある。
周辺を2日ほど探訪ののち、インターラーケン・オスト(東)駅からまずはBOB(ベルナー・オーバーラント鉄道)の茶とクリームの落ち着いた色彩の電車でグリンデルヴァルトに向かった①~④。BOBは軌間1,000mmのいわゆるメーターゲージの鉄道で、JR(1,086mm)よりも狭く、車体もやや小ぶりだった。
インターラーケンからグリンデルヴァルトへは36分で着いた。最急勾配は120‰(パーミル)で、一部区間はリッゲンバッハ式の歯車軌条が使われていた。

グリンデルヴァルトでWAB(ウエンゲンアルプ鉄道)に乗り換えた⑤⑥。ここからクライネシャイデックまでWABが19.1kmを同じく36分で結んでいる。
いったん谷底のグルント(車庫がある)まで下り、スイッチバックしてアイガー北壁を左に望み最急勾配250‰をリッゲンバッハ式の歯車軌条で一気にクライネシャイデックへと登った。車体幅がより狭い狭軌(レール幅800mm)で、小柄な車体の緑とクリーム色が風景にマッチして、なかなか良い雰囲気だった。⑦~⑩はクライネシャイデック付近で撮影した。

クライネシャイデックではJB(ユングフラウ鉄道)に乗り換え⑪、いよいよヨーロッパ最高所(標高3,454m)の鉄道駅「ユングフラウヨッホ」(トップ・オブ・ヨーロッパ)に向かう。ここからユングフラウヨッホまで9.3kmの標高差は1,393mあり、最急勾配250‰をシュトループ式の歯軌条で登っていく。最初の10分ほどは牧草地を走るが⑫⑬、その先は名峰アイガーとメンヒの岩盤をくりぬいた7km余のトンネルを登る。往路のみだったが、アイガーヴァント(2,865m)とアイスメーア(3,159m)に5分間停車し、アイガーの岩盤をくりぬいた窓からアルプスの雄大な景色を垣間見ることができた。そしてトンネル内の終着駅(1912年開業)に着いた⑭。この駅は1912年開業というから、ヨーロッパではそんな昔から3,000m級の山に気軽に行けたのだと、しみじみ思った。気軽にと言っても運賃はそれなりに高い。現在山梨県で議論されている「富士山登山鉄道計画」の予定運賃は1人1万円というから、100年前もそんな感じだったのかもしれない。

駅を出てしばらくトンネルを歩いて外に出ると、もう、そこは一面、ヨーロッパ最大(23km)のアレッチ氷河と万年雪の世界だった。駅構内には郵便局があり、日本の丸形ポスト(日本では最近あまり見かけなくなった)が置いてあってかなり目立っていた。富士山五合目簡易郵便局(山梨県南都留郡鳴沢村富士山8545-1)とユングフラウヨッホ山頂郵便局が姉妹提携をした記念に贈られたもので、今も現役のポストとして使われている。富士山五合目簡易郵便局にはスイスの黄色いポストがあるようだ。


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