• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

青梅(おうめ)線といえば沿線に有名な酒蔵があり、観光地「奥多摩」へ行く電車としても知られている。
私が千葉からはるばる立川を越えて初めて「青梅線」の客となったのは、1962年に鉄道90周年記念事業として「青梅鉄道公園」(現在リニューアルのため2025年度末まで休館中)ができ、110号蒸気機関車(現在は開腹部が復元され桜木町(初代横浜)駅併設の商業施設で展示)や、C515、マイテ3911(いずれも現在は鉄道博物館で展示)、E102などを見に出かけた高校1年のときだった。青梅線の電車はクモハ11などの17m級旧型国電が主力で、いわゆるロクサンはまだクモハ73が配置され始めたころだった。この時は山の上に造られた鉄道公園に行くのが目的で、青梅電車区には寄らず、乗ったり見たりした電車をあまり撮っていないのは、私の地元の総武線がロクサンやクモハ41などの茶色い電車ばかりで、それが当たり前の風景だったからだろう。
その数年後には青梅電車区も訪ねたが、ロクサンばかりで、鉄道公園のスシ28102(1980年に老朽化で解体、3軸ボギー台車のみが保存されている。保存車両を老朽化で解体とは何事か!)で昼食をとり帰ってしまった。もう少し写真を撮っておけばよかったと、それは地元の電車も同様なのだが・・・。

そうこうするうち、青梅の電車はロクサンから新性能電車「金魚」ことオレンジ色の101系や103系に代わり、貨物列車に活躍するED16の引退時期が近づいていた。今のうちにもう一度、と1983年の春、思い切って近くて遠い「青梅線」に出かけてみた。
写真①は二俣尾(ふたまたお)付近を行く103系立川行で前照灯が未改造のすっきりした形のままだった。二俣尾駅まで立川から乗った奥多摩行②は101系だがヘッドライトがシールドビーム2灯のいわゆる「ブタ鼻」に改装されていた。軍畑(いくさばた)付近の鉄橋を渡る103系立川行③も「ブタ鼻」でがっかりしたが、当時の国鉄は事故防止対策で前照灯をより明るくするため、シールドビーム化を進めていたのだった。④は川井~古里のアーチ橋の遠景写真。遠くからでもオレンジ色の電車はよく見えた。青梅線の電車はその後、201系の時代を経て、今はE233系がステンレス車体にオレンジの帯で活躍している。

青梅線には奥多摩工業(株)が採掘した石灰石を運ぶ専用貨物列車が多く運転されていて、その先頭には初期の中型国産電気機関車ED16⑤(二俣尾駅)の姿があった。ED16は1931年に三菱重工業・日立製作所・東芝・川崎造船所で計18両が製造され、上越線清水トンネル電化区間や甲府電化後の中央本線、あるいは阪和線で使われたのち、1970年には全機が立川機関区に集約され、青梅線~南武線で1984年頃まで活躍した。その後はEF15やEF64が専用貨物を牽いたが、1998年8月にここもトラック輸送に切り替えられてしまった。⑥は二俣尾駅構内で一般貨車の入れ替えをする姿。この頃はまだ専用貨物以外の貨物列車もあった。⑦は③と同じ軍畑の鉄橋を渡る石灰石専用貨物列車を下から見上げた様子。⑧は二俣尾で入れ替えをしていたED1611が一般貨物列車を牽いて立川に向かう姿。線路わきの山桜が満開だった。ところで、聞き及ぶところによれば、最近はこのアングルで列車の写真を撮ろうとすると逮捕されかねないらしい。そもそも踏切以外の場所で線路を横断してはいけないのだそうだ。


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