四国の鉄道を撮りに行ったのは過去2回だけ。その一つが、大阪に出かけたついでに、大阪港21時半発神戸・土庄(淡路島)経由高松港4時50分着という夜行便で、高松琴平電気鉄道(以下「琴電」)を日帰りで見に行ったことだ。奮発して1等寝台を取ったおかげで、早朝の高松港着は爽快だった。有名な讃岐うどんの店も開いていたが、うどんには興味がなかった私は、すぐに琴電の「高松築港」駅に向かった。早朝のため乗車券売り場に有人窓口はなく、仕方なく自動券売機でまずコレクション用の入場券(券売機に入場券のボタンがなかった)の代わりに最短区間の乗車券(節約して子供料金)を買ったのだが、⑥の様にひどい印刷不具合。苦情を言っても「これでわかりますから」という具合で仕方なく撮影地へ。
琴電は1911年11月18日に志度線を一部開通させた「東讃電気軌道」、1912年4月30日に長尾線を一部開通させた「高松電気軌道」、1926年12月21日に琴平線を一部開通させた「琴平電気鉄道」の3社が1943年11月1日に合併して「高松琴平電気鉄道」となった鉄道である。全線が讃岐平野にあり、トンネルがひとつもないのが特徴とされる。
さて、今手元にある乗車券類は上述の高松築港発行の券と「円座から80円」の手売り切符⑥だけで、詳細な記録がたどれない。円座は琴平線の駅で写真①と②はそのあたりで撮ったと思われる。①の先頭に立つ610(6000型)は元国鉄の木造電車で、1921年日本車輌東京支店で誕生。車体は1960年に鋼体化されたが二重屋根は健在で、1983年に廃車されるまで、平日の朝ラッシュ時だけ使われていた。②はカラーの発色がよくないが夏みかんが生(な)っていたので手前に入れて撮った。①②のような瓦屋根だけの家並というのも今は少なくなったようだ。
円座の後、琴平(琴電琴平駅)へ行った記憶がないので、金比羅さまへのお参りはせず、志度線の撮影に向かったようだ。③~⑤は志度線春日川駅付近で撮った。駅傍の小川に白鳥がいた③。白鳥って渡り鳥ではなかったかと思うのだが、彼らはこの辺りに住み着いているのかもしれない。
志度線には会いたい車両があった。それがやってきたのが④。片側2扉車の71(向かって左)と81である。71は元東農(とうのう)鉄道駄知(だち)線のモハ101。81は同じくクハ201である。1966年3月にその駄知線で出会った車両だ。駄知線の廃止(1974年)で琴電にやってきていた。71は1950年に東芝車輌で新製。81は元国鉄のモハ101で1951年に東農鉄道が払い下げを受け電装解除したが、その前身は南武鐡道(現JR南武線)の車両である。容姿の全く異なるこの2両は活躍の場が変わっても仲良くペアを組んでいた。2000年までこのまま使われたと聞いた。悲しいことに21世紀には生き残れなかったようだ。⑤はこの鉄橋を渡って行くと見えてくる観光地「屋島」を背にした一コマ。