岡山県美咲町にある「柵原ふれあい鉱山公園に保存される旧片上鉄道の車両群」が、産業遺産学会から推薦産業遺産として認定され、保存に対する功労者として、今年9月22日(水)に美咲町と片上鉄道保存会に功労者表彰が贈られた、と美咲町のホームページにあった。
片上鉄道といえば30年ほど前まで岡山県にあった「同和鉱業片上鉄道線」のことだ。かつて日本各地にあった鉱山にはその鉱石(炭鉱の場合は石炭)を運搬するために敷設された鉄道があって、地域住民の足にもなっていた。
片上鉄道は、明治期に藤田組が開発し第2次大戦後同和鉱業の傘下となった柵原(やなはら)鉱山(岡山県)で産出される硫化鉄鉱石を運搬するために、1923年5月に柵原鉱山~片上で全通した鉱石運搬のための鉄道であった。旅客輸送も行われたが1960年代をピークに1970年になると柵原鉱山の産出量が激減。乗用車の普及と鉱山労働者の減少で旅客需要も減少した。1981年11月には鉱石輸送がトラックに全面切り替えされて鉄道による鉱石輸送は廃止となった。旅客輸送も減少の一途で、経営困難から鉱山の閉山に合わせて、1991年6月30日を以ってその使命を終えた。今年は片上鉄道廃止30周年に当たる。旧・吉が原駅と操車場跡を利用して「柵原ふれあい鉱山公園」が地元美咲町により整備され、片上鉄道で最後に使われていた車両の内11両が保存され、毎月第一日曜には「片上鉄道保存会」の手で1998年から展示運転(400m)が行われている(新型コロナウイルス感染拡大防止のため現在休止中)。
私がこの鉄道を訪ねたのは、貨物輸送が蒸気機関車からディーゼル機関車に代わり、しかもその貨物輸送が廃止された後の1983年3月28日のことだった。高校生の頃には片上鉄道でも蒸気機関車が活躍していたのだが、当時の私は国鉄のC51やD50そして碓氷峠のアプト式などに忙しく、大学生になってからは北海道や北九州の炭鉱に足が向いてしまい、それ以上の撮影行は時間的にも経済的にも困難だった。やがて片上鉄道のことは頭の片隅からも消えていたのだが、どういうわけか1983年正月になって突然行ってみたいと思い立った。岡山には岡山臨港鉄道や水島臨海鉄道もある。帰路にはそこにも寄ってみようと、重くなっていた腰を上げたのである。①は山陽本線和気駅の片上鉄道ホーム。右はDD13551が牽く朝夕の混雑時に走る客車列車。自社発注の客車ホハフ2003+2004の2両を従えて夕方まで待機中。DD13551は1965年日本車輌で製造され、国鉄のDD13に比べ長編成の鉱石列車に対応するため出力の増強など設計変更されている。左のキハ801は、同じ同和鉱業の花岡線(秋田県大館~花岡、1985年廃止)から転入した車両。②はそのキハ801が単行で備前塩田付近の築堤を登る姿。後方に火の見櫓が見える。③④はいずれも備前塩田~備前福田の吉井川第一橋梁で撮ったもの。③はキハ311の単行。④はキハ312+303の2連。キハ311と312は1953年宇都宮車輌で新製の自社発注車輌で、前面2枚窓が当時としては斬新だった。キハ303は旧国鉄のキハ04で、1914年川崎車輌製造の旧キハ41071を1952年に払い下げを受けたもの。①~④の車両はすべて現在美咲町などの所有で上記鉱山公園にて保存されている。
最後に帰路立ち寄った岡山臨港鉄道(大元~岡山港)のキハ5001(大元付近)⑤と、水島臨海鉄道の354ほか2連(旧国鉄キハ10系、倉敷市駅発車)⑥を掲載しておこう。⑦はそれぞれの乗車券など。左は片上鉄道の備前塩田駅の入場券。駅名はゴム印だが乗車券同様に「どうわ・かたかみ」の地紋が入っている。中央は岡山臨港鉄道の大元から100円区間行きの乗車券。日付が3日前なのは、駅で回収した使用済みの切符(廃札)を資料として頂いたため。右は水島臨海鉄道の車内売りの軟券。
岡山臨港鉄道は1984年12月30日に廃止されたが、水島臨海鉄道は現在も旅客(28往復)・貨物(東京や仙台などの貨物ターミナルに向けて6本)ともに営業中。