• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

会津では小型の蒸気機関車(蒸機)C11が1974年10月末まで活躍していた。
国鉄会津線といえば、磐越西線の会津若松から南下して二駅、西若松で二手に分かれ、東寄りは湯野上を経て会津滝の原まで60.5km。もう一方は会津川口を経て只見迄88.4km。そこそこ長い2路線の総称だった。後者はその後さらに山を越えて大白川に至り、上越線の小出から大白川までの只見線に接続し、線名も会津線から只見線となった。1971年8月29日のことだ。前者もいつの間にか鬼怒川温泉から北へ線路を延ばしてきた東武鉄道の子会社が会津滝の原までつながって、会津鉄道として浅草から鬼怒川温泉経由、会津若松への新しい観光ルートができた。東武鉄道では浅草から会津への観光列車の企画もあるようだ。

私が撮影に訪れたのはいずれも蒸気機関車C11が活躍していた頃だからだいぶ前のことになる。鉄道ファンの少し年上の友人F氏が会津によく出かけていたので何回か同行させてもらった次第。彼は無煙化で蒸気機関車がなくなりディーゼルカーだけになってからもしばしば会津へ出かけていた。キハ40の会津線色がどうのこうのといわれても、私にはよくわからぬことばかりだが、そのキハ40も最近新型気動車に置き換えられたそうだ。そんなわけで会津のC11の撮影はFさんのお力添えがあって初めて実現したのだった。

1972年と1973年に出かけた時の写真から数コマ紹介しよう。
今年の梅雨入りはそろそろと思われるが、初めて会津に出かけたのもそんな季節だった。まずは①只見線の会津檜原~西片間の只見川第1橋梁である。よく上方からの映像がテレビコマーシャルなどで使われるので今や有名な場所である。アーチ式の鉄橋を通過するのは貨車もつながった混合列車だ。客車の方が前なのは暖房(スチーム・冬季)のためで、暖房のいらない季節でもこのスタイルだった。

会津といえば秋の紅葉は見事なものだ。その季節の写真を敢えてモノクロームの写真で掲載する。紅葉の季節を感じとっていただけるだろうか。②~④は会津線湯野上(現・会津鉄道湯野上温泉)付近で撮影した貨物列車。④は第5大川橋梁で列車は②と同じ列車である。湯野上駅停車中に移動して撮ったのだがどちらが先だったのか記憶が定かでない。蒸機最後の頃は、只見線ではC11が客車列車も何本か牽引したが、会津線の方は貨物列車のみだった。


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