今冬、豪雪で悩まされている新潟県には何回か撮影に出かけたことがある。
かつて新潟県には私鉄がいくつもあって、それぞれに特色のある車両が活躍していた。
最近の時刻表で確認したら、それがみな廃止されているではないか。JR以外の私鉄はあるにはあるが、並行する新幹線開業でJRから見放された「しなの鉄道」や「えちごトキめき鉄道」、それに最初からJRにしてもらえなかった「北越急行」の3社である。これら第3セクターを私は私鉄とは呼ばない。ここで言う私鉄とは、越後交通、頸城鉄道、蒲原鉄道そして新潟交通のことである。
今回は蒲原鉄道と新潟交通の記憶をたどってみたい。
蒸気機関車が国鉄の本線上から消えて7年余り。面白そうな私鉄の電車を撮りに行こうと決めて上越線の夜行電車に乗ったのは1983年4月8日のことだった。翌9日早朝、長岡で乗り継いで蒲原鉄道の起点加茂へ。いました。古い電車が。
蒲原鉄道は1923年10月20日の開業で、全線単線21.9km15駅、直流600Vだから(国鉄は1500V)本当のローカル線で、沿線人口も少なく開業時から経営は苦しかったと記録にある。それでも1985年4月に加茂~村松を廃止したものの、村松~五泉は21世紀直前の1999年10月4日まで営業を続けた。
一部を除き電車1両のみの単行運転であったが、その頃には首都圏では味わえない「吊り掛けモーター」の唸りが何とも言えず、旅情を味わいあるものにしてくれた。①は冬鳥越(ふゆどりごえ)付近で撮った。背景は西蒲原郡の標高1,000mクラスの山々。②は村松駅構内の車庫に並ぶ古豪たちの顔。
蒲原鉄道では全線開業時から、米の輸送需要に応えるため、貨物列車用に電気機関車を1両所有していた。1930年に日本車輌製造で「ウエスティングハウス(スイス)」の電気機関車を模して造られたといわれている。コメの収穫後の繁忙期以外はほとんど貨物がなく、1957年以降定期貨物列車は設定されていなかった。私が訪ねた時は幸運にも片道1本だけ国鉄への貨車を牽いてさっそうと走ってきた③。この写真の10か月後、1984年2月に貨物営業が廃止されたと、最近になって知った。
その後、五泉から磐越西線で新潟へ出て、県庁前と燕(弥彦線)を結ぶ新潟交通の鉄道線を撮影。燕まで乗る時間も気力もなく、県庁前駅付近での撮影で終わってしまった④⑤。
新潟交通はご覧のように県庁前付近は路面電車のようだが、普通のローカル電車である。1933年に新潟電鉄線として開業。電鉄線以前からバス会社として発展しており、現在も広大なバス路線を有している。第2次世界大戦後の燃料不足時には本社敷地内で天然ガスの採掘に成功してバスの運行に役立てたという会社である。電鉄線は旅客需要の低迷により、先述の蒲原鉄道よりやや早く、1999年4月5日に廃止された。
手元に残る、蒲原鉄道の「村松駅」と新潟交通の「県庁前駅」の入場券をご紹介しておこう⑥。
新潟からの帰路は181系の特急ときに乗った。