8月17日のコラムに近鉄伊賀線(現・伊賀鉄道)のことを書いた。その時出会った旧近鉄名古屋線の6310型は養老線では5300型を名乗っていた。
養老線も今は伊賀鉄道同様、2007年に近鉄の子会社で運営会社の『養老鉄道』になっている。
私が初めて養老線に乗ったのは、2年ほど前のコラム「夢と現と幻と」に書いた1968年10月4日の大垣発桑名行きで、旧・近鉄南大阪線の「かもしか号」こと(旧)5820型が使われていた。その時はただ桑名に急いでいたので撮影はほとんどしなかった。それから9年余り、1977年11月に名鉄の岐阜ローカルと合わせて撮影に出かけた。正確な場所が記憶や記録にないのだが、美濃山崎駅周辺で撮影したようだ。
①はまだ朝もやのかかった中、大垣に向かう列車で、前の2両は旧伊勢鉄道の車両。3両目は近鉄(旧三重電鉄)志摩線から移った3両のうちの1両。最後部は後に伊賀線に移ることになる5300型である。編成美とは無関係にどの列車も4連に仕立てられていた。②は桑名に向かう5304を先頭にした4連で、2両目は名古屋線にいた3100型。後部2両は元奈良線特急車の5800型である。この列車が桑名で折り返して来たのが③の急行養老行きで、当然先頭は元奈良線特急車の5805。「ヤー!! ここで会えるとはね」と高校の修学旅行の時(1963年3月)、宿舎を早朝抜け出して近鉄奈良駅で見たのを思いだした。その時は805というナンバーだった。
その修学旅行では、往路のひので号が浜松で運転停車中に添乗員に頼んで昼食用に名物ウナギ弁当を買ってきてもらい、京都では夜間に阪急や京阪の駅に行っただけではなく、有名な「マツモト模型店」にも行った。当時私は生徒会の規律委員長だったので、主犯を別の友人にして私は付き添いのような形だった。できることは何でもした。④は駅での上・下列車の交換風景。ここは単線なのだ。左の6843は元南大阪線のクニ。⑤は5305ほかの4連をカラーで撮った。①と同じ型式の4連だが同一編成かは不確認。いずれも旧志摩線のやや小型の車両が入っているのが特徴。
養老線には貨物列車が走っていた。岐阜県美濃本巣の住友セメントの工場から国鉄樽見線⇒大垣⇒近鉄養老線⇒桑名東方(貨物駅)⇒国鉄関西本線へと継走する列車で、桑名東方には住友セメントのサービスステーションがあった。⑥はデ11型の12が牽く大垣行き。従って貨車の中身はカラ。つまり貨車回送。
デ11型機関車2両は1928年(昭和3年)、英国イングリッシュ・エレクトリック社の製造だが、撮影の時点で既に大半の機器は国産品に交換されていたらしい。名古屋線の改軌(標準軌化/1435ミリゲージ)で養老線(国鉄と同じ1067ミリゲージ)に移ったもの。
ちなみに名古屋線の改軌は1960年の予定だったが、1959年の伊勢湾台風で名古屋線が壊滅的打撃を受け、それなら復旧工事と同時に改軌しようと、渡米中の佐伯社長の決断で急遽実行され、同年11月に完成。名古屋~大阪上本町の直通特急も実現した。そのニュースには当時中学生だった私も感動したものだ。
⑦のカラー写真はデ31型の牽く桑名行き貨物列車でセメントが積まれた貨車を牽いている。デ31型は3両あり、31は伊賀線から、33は南大阪線から養老線にやってきた。32は名古屋線にいたが改軌され工事用として残ったので、ここに写っているのは31か33である。
最近の養老線(養老鉄道)の電車は東急のお古が主体だそうで、何で近鉄に東急?と怒りを覚えるが、その方が経済的なのだろう。どんな電車かは知りたくもない。