ジョージ・ミーンズさんなどと親しげに呼んでいますが、氏は元国際ロータリー(RI)事務総長であり、第2次大戦後の日本のロータリーの再建(RIへの復帰)のために、当時RI事務次長として尽力された方です。
本年3月17日のコラム「日本のロータリー復帰の頃」に氏が書かれた「ジョージ・ミーンズ回顧録~~日本ロータリー再建の頃」(『ロータリーの友』1976年9月号~1977年4月号に連載)のことを記しました。その記事を熱心に読んだこともそうですが、私は郵趣の面でも氏にとても関心を持っていますので、今日はそのことに触れたいと思います。
当然お目にかかることのない方でしたが、私がROTARY ON STAMPS (ROS)で知り合ったウィルモン・ホワイトさん(元THE ROTARIAN編集長、その後RI事務次長で2000年にRIを退職)は、彼の奥様がRI職員でミーンズさんの秘書をしており、その縁で1970年にRIに奉職したとのことで、いろいろなエピソードなどを聞かせていただきました。私にとってロータリーで最も関心のある方です。
私の手元にあるミーンズさん関係の郵趣アイテムからいくつかご紹介します。
1955年2月のロータリー50周年を氏はRI事務総長として迎えました。切手収集家のロータリアンは米国が発行した50周年記念切手を貼った初日カバー(FDC)に有名なロータリアンのサインを集めました。ミーンズさんのサインも残っています①。ミーンズさんは誰かに頼まれたのでしょう。記念切手のタブ(耳紙=シートの余白)②にも3月7日にサインをしています。
さて、もう1通は、パリロータリークラブ発信の手紙の封筒です。初めて見たときは付箋があって何かよくわかりませんでした③。その付箋をめくってびっくりしました。あて先は日本の箱根「富士屋ホテル」に滞在中のミーンズさんです④。1961年6月といえば東京での第52回RI年次大会が終わった直後です。ミーンズ事務総長はその疲れを癒すため、箱根の温泉旅館に滞在されたものと思われます。パリRCの誰かが、ミーンズさんの箱根滞在を知っていてその旅館宛てにエアメールを送ったのでしょう。パリの消印は6月21日です。ところがこの封筒には付箋が貼ってあり「宛名の御方は御出立後ですから左記へ御轉送願います」と書かれています。
6月25日付ですから今考えてもずいぶん早く届いたものです。しかし、残念なことにこの手紙はミーンズさんが箱根を出発された後に届いたのです。パリからは航空便で到着(裏面にTOKYOAP6月24日の到着印⑤)しましたが、パリへの返送は③に「横浜6月26日」の印があるので船便だったと思われます。そして再度シカゴに送られたのでしょう。中身はありませんのでどんな内容かわかりませんが、無事ミーンズさんの手元に届いたはずです。なぜならこの封筒はRI宛の大量の封筒の山の中から見つかったのですから。