去る2月7日のロータリー郵趣のコラムに「メークアップカード(MC)」のことを書いたその直後、私はあるネットオークションで、久々に緊張しました。ドイツの業者が「ロータリークラブ(RC)差出のハガキ・1935年」を出品していたのでよく見ると、なんと差出人は奉天(現在の瀋陽)ロータリークラブ(1929年4月創立、第70区=日本および満州国)。メークアップカード①②であることがわかりました。是が非でも入手せねばと頑張った割に安く落札し先日送られてきました。
日本の普通郵便はがき(1925年発行銘なし分銅はがき/国内料金1銭5厘)に1銭5厘の日本切手が貼られて3銭の国内書状料金になっています。日本と満州の間の郵便料金は国内扱いでしたが相手はインドです。この料金で良かったのでしょうか。満州におけるハガキの外国郵便料金(平面路=船便)は満州通貨で5分ですが、当時の為替レートでは日本円で3銭になったものと考えます。1935年といえば1932年3月に満州国が建国され、いわゆる満州国切手が使われていた時代です。なぜ満州国の切手ではないのだろうと不思議に思いました。
当時、満州国を承認していた国は23か国だけで、インドも承認していませんでした。記録によれば、そうした国では満州国の切手が貼られた郵便物の受け取りを拒否していました。従って、日本が実効支配する地域からの国際郵便には、日本の切手やはがきがそのまま使われていたようです。日付印の10年は1935年から昭和と解しましたが、満州国の年号であれば康徳2年の「2」であるはずです。日本が郵政の面でも権益を握っていたために「奉天中央」局では日本の切手に日本の年号が使われていたのでしょう。
ここに貼られた切手は1銭5厘の田沢型切手ですが、よく見ると右側に目打ちがありません。普通の切手シートではなく1ペーン6枚の切手帳(マシーンメイド)からのものです。このタイプの切手帳は1923年8月から3次にわたり製造されていますが、ここに貼られたものはその最後、1928年6月に製造された平面版(印面のタテ寸法が輪転版より0.5ミリ短い)のものであると確認できました。
インド宛ですが、どういうわけか米国に誤送されてしまい、オハイオ州シンシナティの「誤送到着印」が押してあります。ボンベイRCのH. C. Kallさんが奉天RCの例会に出席したのは1935年7月25日。奉天中央郵便局の日付印は10年(昭和/1935年)8月2日。シンシナティの通過(日付印)が1935年8月23日になっています。ボンベイの到着日付印が押されていないのでいつ届いたのかがわかりませんが、当時のメークアップ通知期限に間に合ったのかを心配してしまいました。
③は週報を送ったと思われる帯封で今はあまり見かけなくなったハトロン紙が使われています。これには満州国の切手(5分)が貼ってありユーゴスラビア王国(旧セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国)宛です。宛先のスシャクRCはユーゴスラビアでもクロアチアにあり、クロアチアは満州国を承認していました。差出はハルビンRC、日付印の日付は満州国建国間もない1932年4月11日です。満州国切手を使用したロータリーの郵便物は希少で、私は現在までこの1点しか確認していません。スシャクは1948年にリエカと合併しリエカ市になりましたので、今はクロアチアのリエカ市の一部ということになります。バルカン半島一帯は歴史的に変動が激しく、この1枚の帯封からだけでもずいぶん楽しく歴史の学習ができました。