かつて、といっても40年ほど前までの話だが、長距離を走る特急や急行列車には、たいてい食堂車が連結されていて、旅の楽しみに彩(いろどり)を添えていたものだ。人材確保と採算の面からか、新幹線に残っていた最後の食堂車が廃止されてもう何年になるのだろうか。車内販売までもが廃止されようかというご時世である。確かに駅ナカの店舗も増え、駅弁ですら立ち売りではなく売店で買うようになった。旅の様相はすっかりさま変わりしたと言ってよいのだろう。私が懐かしんでいるのはコンビニも自販機もなかったころの旅情である。
食堂車にはたいていその列車名が入ったマッチがサービス品として用意されていた。たばこが通勤電車区間以外では普通に吸えた時代の話である。私の手元に今も残っているマッチ箱をご紹介しよう。
私が初めて自身で(親に連れられてではなく)列車食堂を利用したのは1965年7月、大学1年、鉄道フアンの友人と3人で北海道旅行をした時であった。上野駅13時30分発の特急はつかりのキサシ80でカレーライスを食し、会計時にもらったマッチが①である。
私のコレクションには東北方面は列車食堂のマッチがいくつもあって、上野青森間夜行寝台特急の「はくつる」②、「ゆうづる」③、上野から奥羽本線経由秋田を結ぶ昼間のディーゼル特急「つばさ」④、同じく山形までの「やまばと」⑤、と揃っている。それぞれ乗った時のことが思い出される。
急行列車にも食堂車を連結した列車があったが、そのマッチは列車名がなく「日本食堂」など列車食堂を運営する会社の名前が入ったものだった。特急と異なり急行列車はいわゆる固定編成ではなく、個性的な車両が一般的な客車の何両目か(通常は優等客車と普通客車の間)に連結されていた。急行「安芸」(東京~広島)のマシ38、「みちのく」(上野~青森)のスシ48などは私も利用した記憶がある。
先述の北海道旅行では、大変貴重な体験をした。「はつかり」から接続する函館行きの連絡船1便八甲田丸の船内グリルでもマッチ⑥を入手したが、函館に着きホームに行ってびっくり。1便に接続する特急「おおぞら」や急行「ライラック」ではなく、多客期に運転される不定期急行「石狩」に乗ることにしていた私たちは、朝食の駅弁とお茶(もちろん土瓶入り)を買って、乗る車両を物色するうち、なんとスハシ38(2等座席と食堂の合造車)が連結されているのを発見したのだ。そもそも不定期の急行で食堂の営業がされていようとは、時刻表の表示を見落として予想もしていなかった。それどころか1両の3分の1が2等座席(現・普通車)で残りは食堂というスハシ38(元はスロシ)が現存しているなど、そこで初めて知ったのだった。
当然のようにその狭い2等車室のワンボックスに席を構え、駅弁を食したのち食堂に入り飲んだのはコーヒーではなく牛乳(ホットミルク)。そのおいしかったこと。そこでいただいたマッチは日本食堂のもの⑦だった。付言すると、牽引機はC5525。流線型改造機でその数年前まで名古屋機関区に所属、関西本線名古屋~亀山間をさっそうと走っていたカマだった。函館で出会ったその時期は「石狩」専用に使われていたらしく、旅の最後、札幌から乗った準急たるまえ」を大沼駅で途中下車し、大沼のほとりで再びスハシ38の入った「石狩」を牽くC5525に出会うことができた。
ところで特急の固定編成列車は別として、一般の急行列車の食堂車はいつごろまで使われていたのだろうか。「北陸トンネル内での列車火災」といえばご記憶の方も多いであろう。1972年11月6日未明、大阪発青森行き急行「きたぐに」がこともあろうに全長13キロほどの長大トンネル内で当時最新の食堂車(オシ172018)の電気暖房機付近から出火、死者30名、負傷者714名という大惨事を起こしたのである。
最初から電化区間のトンネルとして建設されたため排煙措置がなく、火災の熱で停電すれば真っ暗闇になる中でなぜ乗務員は列車を止めたのか。同じ北陸トンネル内で1969年に特急「日本海」で発生した車両火災があった。その時の乗務員は「火災発生時は直ちに列車を止め・・・」という規定を無視してトンネルを抜け、その後ただちに消火活動をして死傷者無しだった。この表彰されるべき乗務員の行為を国鉄上層部は規定違反として処分も行われた。規定の見直しもされなかった。「きたぐに」の乗務員は列車を停めるしかなかったと言われている。
これ以上の詳細はここでは触れないが、この事故により一般型客車の食堂車の連結は全国で取りやめとなった。当初は出火原因が食堂車の石炭レンジとされたことが理由だった。ちょうど急行の特急への格上げ、編成の合理化などが進められていた時期で、不運が重なって一般急行列車の食堂車は消えていったものと思われる。
マッチ箱に話を戻そう。上越線の特急「とき」⑧や山陽本線九州夜行の「彗星」「金星」⑨など思い出深い列車がある。東海道新幹線では「ひかりこだま」⑪の時代が懐かしいが、鉄道関係の映画の宣伝の入ったものもあった。新幹線には日本食堂だけではなく、少数だが新大阪ホテル⑩が営業する食堂車もあった。ほかにもいくつかあるがこの辺で。