• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

第二次世界大戦はロータリーにも大きな影を落とし、1945年の国際ロータリー(RI)年次大会は5~6月にシカゴで毎週日曜日にのべ4日間という変則開催され、登録者数も141名と、1910年の第一回大会に次いで少なかったのです。それから3年。1948年の大会は5月16~20日にブラジルのリオデジャネイロで開催され、登録者数7,511名は、それまでの米国外での開催としては最大規模となりました。1940年ハバナ大会の後にRIを離脱した日本のロータリークラブ(RC)はまだ復帰が認められていませんでした。
リオデジャネイロRCはブラジル最古のクラブで1922年に設立されました。この後ブラジルではサンパウロで2回(1981年、2015年)RIの年次大会が開催されています。

この大会では第2次大戦後初となるロータリーの記念切手2種類(①同一図案2額面)がブラジルの公式切手印刷会社「Casa de Moeda」社で印刷され各50万枚が発行されました。まだ産業の復興は不十分で、切手にも目打ちが余計に入ったもの②が見られるなど印刷の状態はあまり良くなかったようです。色の濃淡のバラエティーや二重印刷と思われる濃色の切手も存在します。また目打ちのないもの③が1シート(72枚)印刷されたと記録にあります。
切手の図案はリオの有名な風景(マキシマムカード⑦参照)をもとにしていますが、もう一つ別のデザイン(ブラジルの母④)が同じCasa de Moeda社で試作されていました。記録では5色各1シート(50枚)作られたとなっていますが、その記録は印刷会社のもので、ブラジル政府に公式な記録は残っておらず実態は不詳です。私の推測では印刷会社から③と④の2種類の印刷見本が無目打ちで提供され、政府で検討の結果③に決まり、決定したものだけが政府の記録に残されたと考えます。
④については左から2番目のMauve(藤色)とされるものが特に希少で、1954年の郵趣資料「ロータリー切手ハンドブック/American Topical Association発行」にはこの色についての記載がありません。私も25年余りの収集体験の中で、この1枚しか目にしておりません。その他の4色は数年に一度オークションで見かけます。シート構成がどうなっていたのか、復元に挑戦の途中段階の⑤を示しておきます。当時の他のブラジル切手の例から、多分横はこの倍の10枚、縦は5枚であろうと推測します。
1940年のハバナ大会の時ほどではありませんがこの切手を使った記念品がいくつも作られました。1931年と1940年の2回のロータリー大会記念切手を印刷したカードにロータリーの切手としては史上3番目になるこの切手を貼り記念消印を押したもの⑥が、公式スーベニアカードといえるものです。絵葉書を使ったマキシマムカード⑦も大量に作られたようです。何種類かのカシエが存在する初日カバー(⑧はその一例)や二つ折りの記念フォルダーなども作られ、大戦後初のロータリー記念切手の発行を祝いました。


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