今年2月17日のコラムで加悦鉄道の蒸気機関車の話を書いたところ、その帰途に寄った淡路交通の写真を、というリクエストがあった。丹後山田の後どうやって淡路島に行ったか詳細な記憶がなかったのだが、探したらその時の乗車券①が残っていた。往路は都区内から松浦線の上佐々。佐々で途中下車してこの切符を確保しようとして次の上佐々(無人駅)まで買った。そして佐々から分岐して一駅だけの臼の浦線は別途運賃を精算するつもりだった。ところが臼の浦では「まあそんなのいいから」とのことで、この乗車券では行けない「臼の浦」の下車印まで押してくれた。「ならば」と帰りの乗車券を買うことにした。
もともとそこか佐々で買うつもりだったのだが、経由路線が複雑でしかも学割。この面倒な切符を30分ぐらいで作ってくれた駅員さん、どうもありがとうございました。今なら当然無人駅の臼の浦(廃線になってしまったが)。当時朝3往復、昼間はなくて夕方1往復。キハ02という当時は珍しかったレールバス(超小型のディーゼルカー)が走っていた。朝の列車を撮影して、8時36分発の上り第3便(824D)で臼の浦を離れ松浦線の人となった。乗車券には途中下車すると下車印が押されるのだが、その収集には不熱心だったので、あちこち寄った割にはあまり押してないのが今思えば残念。
しかし、帰途の乗車券に、西舞鶴や谷川、加古川の下車印が押してある。当時の時刻表を調べてみた。そうだ私は13時3分発の列車で丹後山田から宮津線で西舞鶴へ行き、舞鶴線山陰本線経由で福知山、福知山線で谷川、加古川線で野村そして加古川、6回乗り換えて山陽本線でやっと明石。ずいぶん遅い時間だったが駅の紹介で駅前旅館に素泊まりという、加悦での出来事も考えると、とても長い一日だった。今なら京都丹後鉄道「与謝野」(旧国鉄丹後山田)をほぼ同じ13時4分発の列車で出れば福知山線経由で16時54分に着くそうだ。しかも乗換は半分の3回。半世紀の間に結構便利になっているのだ。
さて本題の淡路島へは翌朝6時発の高速船で明石港から岩屋へ渡った。岩屋から淡路交通の電車の起点洲本へはバスで1時間以上かかり、7時38分に着いた。
淡路交通鉄道線は1922年11月22日に洲本口~市村16kmが淡路鉄道として開通、蒸気機関車により運行を開始した。1925年に洲本~福良の全線23.4kmが開業、ディーゼル化を経て1948年には電化され、南海電鉄から購入した車両で運行された。1960年代モータリゼーションの波に押され赤字経営が続く中、1965年9月の集中豪雨で鉄道線が寸断され、懸命に復旧し1日31往復(時刻表1966年7月号による)の電車を走らせたものの、運休中に代行バスに移った乗客が戻らず、労使交渉の決着により1966年9月末での廃線が決まった。私が訪問したのはそんな頃だった。
あとで聞いた話だが、私が訪問した23日後の8月8日に廃止申請が運輸省に提出された。そんなてんやわんやの時期に、のんきに撮影に訪れた私を、嫌がりもせず(本当は迷惑だったのかも)車庫に案内し、いずれいらなくなるのだからと、予備の記入式往復乗車券などをお土産にくださった。
洲本~福良を往復しながら掃守(かもり)などで撮影。電車は白黒写真ではわからないが、車体の上がクリーム、下半分が水色の塗り分けだった。旧南海電鉄や阪神電鉄の雑多な車両がいて、前面5枚窓で二重屋根の1003も健在だった②。福良駅の運賃表③によれば洲本までの第9区間が120円だから、乗車券類④の福良から9区間ゆきというのが、私が実際に使った乗車券だろう。洲本港14時発の関西汽船で島を離れ、和歌山の深日港(鉄道の駅は多奈川)から1日5往復あった南海電鉄の淡路連絡急行で難波に16時30分に到着。その後は先述の加悦のコラムにあるとおり。