今回も半世紀以上前の話。1966年7月に私は大阪から西の鉄道を初めて撮影に出かけた。
途中経過を簡略化すると、大阪市電、糸崎機関区、呉線(C59の急行安芸など)、呉市電、下関市電、関門トンネル入り口、門司港駅、直方機関区、宮田線、貝島炭鉱、佐世保線でC11が牽く特急さくら、臼の浦線のキハ02、雑餉隈(ざっしょのくま)駅(コレクション用に入場券を買いに行った。なぜってこんなの誰が読めますか?)、再度筑豊の蒸気機関車(蒸機)、と巡って10日ほど。もう疲れてヘロヘロになって夜、黒崎から急行しまねに乗った。博多から山陰本線の米子まで行く列車で、出雲市に翌朝5時38分に着いた。大社線の一番列車で大社へ。何のことはない、この旅唯一の観光で出雲大社にお参りをしたのだった。その後は一畑電鉄で大社神門から出雲市へ戻り、松江を素通りして米子へ。日の丸自動車法勝寺電鉄線で終点まで1往復しつつ、もうすぐ廃止になるという電車の写真を撮った。乗務員が無人駅で回収した乗車券を記念にといってたくさんくださった。お礼は米子市駅と本社の皆さんの記念写真を撮ってあとでお送りしたこと。
その夜遅く宮津線(現・京都丹後鉄道)の丹後山田に着いて駅前旅館に素泊まりし、ようやく本題の加悦鉄道(かやてつどう)となった。
翌7月15日、加悦鉄道のキハ101に乗って丹後山田から加悦へ。ディーゼルカーといってもそこらにはない古いタイプで、一方の運転台の前には荷台が付いていた。大きな荷物や自転車等を載せるためだそうだ。加悦駅は加悦鉄道の本社もある歴史的建造物で、白山支配人がいろいろお話をしてくださった。ここには2号機関車(現在国指定重要文化財、関西最初の蒸機)が保存され、4と1261という2台の蒸機が現役で働いていた。支配人は2号機を走らせるのに100万円あればなあと言われた。今ならいくらになるかわからないがネット募金ですぐに集まるのかもしれない。いずれにせよ現在は“加悦SL広場”で展示されているそうだ。ここに掲載の写真は、当日火が入っていた1261号機を、朝夕小型ディーゼル機関車で1往復運転される客車列車の前につけて蒸気を出してもらったところ。この後この機関車は、丹後山田まで行ってその先の工場専用線で貨車の入れ替えをするというので、丹後山田まで運転台に添乗させていただいた。機関車だけがトコトコと走る写真を撮っておけばよかったが、その時は乗る方に興味があった。
各車両の写真は加悦SL広場のHP http://www.kyt-net.jp/kayaslhiroba/index.htmlをご覧いただくとして、そこにはない乗車券(車内売りの軟券、駅でもこれを売っていた)と国鉄丹後山田駅の入場券を掲載しておこう。
その後は明石へ出て高速船で淡路島。廃止直前の淡路交通の電車を撮って、和歌山・大阪経由で夏休みの鉄道行脚を終えた。和歌山から大阪は南海電車に乗ったが終点の難波で困った。地下鉄で大阪駅へ行きたいのだが路線図のどこにも大阪の二文字がなかった。まさか梅田が大阪とは知らず、確実に天王寺・鶴橋経由で遠回りして大阪駅にたどり着いた。大阪からは夜行急行銀河、2等座席車は元特急用のスハ44だった。