• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

「デコイチ」などと誰が言い出したのかはよくわからないが、全国各地で活躍し、両数も多かったD51型式の「デコイチ」が蒸気機関車の代名詞とも言われたのはもっともなことかもしれない。このコラムでも、「布原の三重連(2018/9/7)」や「羽越本線笹川流れ(2020/9/7)」「木曽路のD51(2021/8/15)」などで何回か登場した。本ホームページ「鉄道と私」の「房総の蒸気機関車」も数枚を採録している。

今日はそこに掲載しなかったD51のうち、気になる何枚かを取り上げたい。
先ずは遠いところから、貨物列車を牽いて呉線呉駅を発車するD51755①。この写真は1944年3月に朝の呉駅で広島に向かうC62の客レを何本か撮った後のシーン。のちにこの写真を欲しいというリクエストがあって、私の人生を変えた記憶に残る一枚となった。このD51755は1942年9月17日に川崎車輌兵庫工場で製造され、東海道の国府津に配属。2年後の1944年11月7日に山陽路の糸崎に転じ、その後1970年11月28日に廃車されるまで、糸崎機関区の主として、山陽本線や呉線で活躍し、その生涯の大半を糸崎で過ごした。

次は関西本線中在家信号場のあたりから2枚。この辺りは加太峠を越える関西本線の難所で、1964年夏に亀山機関区を訪ねた際、大学の受験勉強を理由にあと一日の撮影を諦めた場所で、この時(1970年)はC51もC57もすでになく、D51だけが貨物列車を牽いていた。②はタンカー主体の貨物列車。③は夕闇迫る中、峠に向かう姿である。

D51は関東でも比較的遅くまで活躍し、④は1970年頃、八高線の何処か記憶も記録もないが、春先、ちょっと雪が降って、そこに砕石輸送の列車がやってきた。⑤は都内、越中島貨物駅から亀戸を経て新小岩操車場に向かう貨物列車。小名木川橋梁を渡るD51貨物で、その最後は2023/3/15のコラム「都内最後の煙」に書いた。この日は朝からこの辺では珍しい雪で、「ソレッ」とばかりに千葉から出かけたが、雪景色というほどには積もらなかった。

最後にデコイチの初期型から1枚。「鉄道と私」の「房総の蒸気機関車Ⅱ」に掲載したD5150が牽く貨物列車⑥。地元千葉県内のD51の写真の代表として再掲したい。撮影場所は総武本線の物井~佐倉の新線(移設)区間。電化複線化の頃で、トンネルができて距離が短くなったが、まだダイヤ改正前の単線運転だった時期に、千葉鉄広報から情報をいただいて、この場所からの撮影をした記憶がある。このD5150も755と同じ川崎車輌兵庫の生まれ(1937年)で、ナメクジドームといわれた半流線型のD51である。浜松に配属後、金沢、稲沢、甲府、水戸を転々とし、1962年10月1日に新小岩機関区に転じ、以後は最後1969年2月17日に廃車されるまで、新小岩をねぐらに佐倉まで、そして房総方面は蘇我まで、貨物列車を牽いて活躍した。


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