• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

国道駅といえば関東ではJR(旧国鉄)鶴見線の駅である。鶴見線は1924年に浅野財閥が鶴見臨港鉄道会社を設立し、1926年に浜川崎~弁天橋を開業させたのがその始まりで、1930年にはほぼ全線が開通した。京浜工業地帯を走り、駅名を見ても「浅野」や「安善」など旧財閥とかかわりのある名が目立つ。当初は貨物専用だったが、1930年に全線電化し旅客扱いを開始した。
この時鶴見駅の隣に設置されたのが国道駅で、鶴見駅の山側高架ホームを出た列車は、左に大きくカーブして東海道線や京浜急行線を渡り、国道も越えて国道駅に入る①。
国道駅は1930年10月28日の開業以来、ほとんどそのままの姿で現存している。高架ホームから下に降りるとそこはまだ昭和の香りがするといい、大都市横浜の秘境駅と呼ばれているそうだ。私が初めてこの駅に降り立ったのはこの写真を撮る14年前、1966年1月17日だった。その頃の鶴見線は17m級国電の天下で、クモハ11やクハ16などのさまざまなタイプの電車が走り、浅野や安善のホームにいると、時々そばの工場専用線から貨車を牽いた小さな蒸気機関車が鶴見線の方に出てくる姿も見えた。その時は鶴見線全駅の入場券も入手し、充実した一日だったが、その話は別の機会に譲るとして、今はロクサンつまり72系(元モハ63型)旧型国電の姿をまとめてみた。
国道駅は急カーブのホームになっていて、②は①と反対の鶴見小野方向から鶴見に向かってやってきた「試運転」電車。1980年からロクサンに代わって鶴見線の主になる101系(カナリア色)が急カーブのホームに入るところ。
国道駅の次は鶴見小野駅だが、その間に鶴見川を渡るアーチの美しい鉄橋があるというので行ってみた。③はクハ79を先頭にした扇町行。鶴見線の電車はこの頃は鶴見寄りから、クモハ73+モハ72+クハ79の3連が基本で、クモハやモハは近代化改造されて、客用窓が2段のアルミサッシ化されていた。また先頭車が不足していたクモハはそのモハに運転台を取り付けた改造車が大半で原型車はいなかった。しかしクハは原型車が多く、このクハ79も木製3段窓のままであり、前面窓が傾斜しているのでクハ79の350番以降の車両と思われる。
④は同じ鉄橋の反対側に行き逆光で撮ってみた。静かで穏やかなひと時だった。
鶴見線の電車区は弁天橋だが、中心地は南武線の尻手(しって)から支線が入ってくる浜川崎である。線路の形状も複雑になっている⑤。最後部のクハ79はアルミサッシ2段窓だが改造車ではない。張り上げ屋根の車体は、クハ79の920番以降。101系が誕生する直前の、ロクサン最新版の全金属車がつながっていた。
鶴見線には支線が二つあり、その一つ、浅野から海芝浦への支線は運河のそばを走るので、時々その人気が報じられる。終点海芝浦駅の改札出口は東芝の工場の入り口で関係者以外は駅から出ることができないことでも有名な駅。⑥は中間の新芝浦のホームで撮った鶴見行。
鶴見駅で下り電車の時刻表をみると、支線直通があるので平日17時台は4つの行き先に計9本のダイヤが組まれている。(2024/7/10現在)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です