• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

2020年7月7日のこのコラムに「南紀のDF50」を書いた。DF50は1956年から製造された電気式ディーゼル機関車である。エンジンのメーカーにより基本番台(スイス/ズルツアー社・8気筒)と500番台(ドイツ/マン社・12気筒)に区分されていて、私はあの「ドッ・ドッ・ドッ・ドッ・・・・・」という重厚なズルツアーの方が好きだった。DF50は山陰や日豊そして北は奥羽・羽越・北陸等の各線で使われたが、最後1980年からの数年は四国に集約されていた。南紀のDF50は最初から最後までズルツアーだけだったが、四国ではDF50の終焉(しゅうえん)の頃まで両方が混在して使われていた。

今日のコラムは、全廃前にもう一度会っておこうと四国にDF50を訪ねた1981年の話である。四国といえばまず土讃本線「大歩危~小歩危」と狙いを定めて、鉄橋の下でDF50の客レ①を待ち構えた。機号は確認できなかったが音はマンで500番台の誰かである。郵便・荷物合造のスユニ61+荷物車マニ60+普通客車4両の計6両編成はちょうどよい長さで、うまく写真に収まってくれた。客車のうち2両がアルミサッシ改造車なのは、あの頃のよくある姿だった。

翌日、どこの駅だったか記憶がないのだが、やってきたのは517号機が牽く貨物列車②。車体が補強されていて古色感があったが、マンのエンジン音で軽快に通過していった。DF50517は1963年にマンのエンジンを使って日立が製造したうちの1台。
その後これもよく覚えていないのだが長い鉄橋があり、菜の花が咲いていた③。遠方から貨物列車全体を入れたので、機号も何もわからなかったが、やはり機関車の牽く列車は良いものだ、と思いつつカメラをしまった記憶がある。

DF50は四国を最後にその姿を消し、現在保存展示されているのは僅かに2両のみである。
製造当初長野県の篠ノ井線で活躍しお召列車の牽引にもあたったことのある1号機が、最後は四国で運用されたことから、多度津工場での保管を経て、愛媛県西条市の四国鉄道文化館に動かせる状態で保存されている。もう1両は大阪の交通科学館に展示されていた18号機。京都鉄道博物館が整備され科学館が廃止となったとき、収容能力がないという理由で京都に受け入れられず、蒸気機関車D512とともに、岡山県津山市の津山まなびの鉄道館に移された。
保存車両が2両だけとはいえ、形態が若干異なる初期型と量産型を見ることは可能だ。残念ながら500番台は全機が解体されてしまった。
実は今年の1月まで、4号機が大阪市東淀川区の公園に存在したのだが、2月頃解体撤去された模様。全国の亜幹線から蒸気機関車を追放した無煙化の立役者だったDF50だ。もっと大切にされ、京都か大宮の鉄道博物館にしっかりと保存されるべき重要な機械遺産だと私は思っている。


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