• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

三重県の桑名と四日市には、それぞれを起点とするナローゲージの電車が今も活躍している。
そもそもナローゲージとは、軌間が標準軌(1435㎜)よりも狭い鉄道のことを言う。だから日本の場合はJR(旧国鉄)の在来線をはじめ小田急や名古屋鉄道など、軌間が1067㎜(3フィート6インチ)の鉄道が多く、それらは世界的にはナローゲージ(狭軌)と呼ばれる。しかし、普通はJRの線路を見て「ナローゲージ」という人はいないだろう。鉄道ファンの立場から言うと、「ナローゲージ」はJRよりももっと狭い軌間762㎜(2フィート6インチ)などの「特殊狭軌鉄道」を言うのが一般的だ。
1960~70年頃には日本各地で見られたそれらナローゲージの鉄道も、大半が廃止され、現在営業路線としては、富山県の黒部峡谷鉄道のほか、旧三重交通(1964年度のみ三重電鉄)の三岐鉄道北勢線(西桑名~阿下喜20.4㎞)、四日市あすなろう鉄道内部線(近鉄四日市~内部5.7㎞)と八王子線(日永~西日野1.3㎞)が運行しているのみである。
私が実際に乗車したナローの鉄道も、鶴居村営軌道(1968)、花巻電鉄(1969)、日本硫黄・沼尻鉄道(1969)、頚城鉄道(1971)、草軽電鉄(1961)、九十九里鉄道(1961)、下津井電鉄(1990)・・・とみんな廃止され(カッコ内は廃止年)、上記三重の3線が残るだけだ。(黒部にはまだ縁がない)

このタイトルを「近鉄ナローの話」としたのは、そんなナローの中でも数多く出かけ、なじみのあるのが旧三重交通の現存3線だからである。この3線は1964年4月に三重交通のバス部門と切り離され三重電鉄となり翌1965年4月に近畿日本鉄道(近鉄)に併合され、近鉄北勢線、内部・八王子線となっていたものだ。その後近鉄の経営合理化により、北勢線は2003年4月に三岐鉄道に引き継がれその北勢線となった。内部・八王子線はBRT化の計画もあったが2014年3月に四日市あすなろう鉄道が設立され鉄道として存続した。
私が初めてこの3線を訪ねたのは大学1年次を終える1966年3月30日のことだった。その前年3月、三重県の津を訪れていた際、三重電鉄が近鉄に併合されると聞いたのだが、高田本山専修寺(せんじゅじ)参観などでその3線へ行くゆとりはなかった(個人旅なのでその気になれば行けたのだが・・・)。乗車券だけでも入手したいと合併直前、三重電鉄本社に手紙を出したところ、なんと「合併したら不要だから」と乗車券類見本帖3冊(スクラップブック貼付)を送ってくださった。それまでは特別な関心はなかったのだが、ぜひ訪ねようと決意し、ようやく1年後に出かけたのである。

今回はその時の八王子線の2枚と、1975年夏の内部線の計3コマを掲載しよう。写真①と②は、その後の台風被害で廃線となり、今は無き西日野~室町~伊勢八王子の川沿いの路線だ。①は先頭のモニ212がサ150(三重交通時代の旧塗装)を引いて四日市に向かっている。それが伊勢八王子行きとして折り返してきたときは212が1両の単行だった。昼間はお客が少ないのだろう。写真③を見ると先頭の241は2両の付随車を引き連れている。内部線は終日3両編成だった。最後部の130は旧色のままで、懐かしさを感じたものだ。北勢線はいずれ「その2」で。


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