今日は少し変わった切手のお話です。
切手を収集している方、特に外国切手を集めている方はご存じだと思いますが、「新聞切手」が1851年にオーストリアで発行されて以来、多くの国で新聞を発送する際の切手として使われました。個別発送のものは通常の普通郵便料金より安い料金で、大量発送に対してはそれなりの額面で発行されました。日本では特に新聞切手としての発行はありませんでしたが、第3種郵便料金(定期刊行物)に相当するものです。1950年代には料金別納などほかの方法ができ、ほとんど使われなくなりました。アメリカでは大量発送のために額面100ドルの郵便切手も発行されましたが、多くの国では個別発送のための切手がほとんどで、額面も安く大量に作られましたので、現在も入手は容易です。
切手を集め始めた頃、外国の切手100種パケットを買えば、チェコやデンマークの新聞切手が数枚は必ず入っていたのをご記憶の方も多いでしょう。例外は大量発送のために発行されたアメリカの新聞切手で、大型で額面が高く1898年で使用中止になっていますので、残念ですがパケットに入ることはありません。
さて、アメリカの新聞切手①は超大型(100mm×55mm)でしたので、その広い裏面に食事会のメニューを印刷して記念品②にしたグループ「Rotary Philatelists」がありました。1919-20年度の国際ロータリー(RI)年次大会は1920年6月21日~25日にアメリカ・ニュージャージー州のアトランティックシティで開催されました。ブエノスアイレス(アルゼンチン)や上海(中国)、パナマシティ(パナマ)などにロータリークラブ(RC)が発足した年度で、東京ではその年の秋の発足に向けて準備が進められている頃でした。当時のRIは12か国、516RC、45,000人の規模でした。
ロータリーの切手は1931年のウイーン大会の記念切手が最初ですし、記念消印(1927年オーステンドが最初)も使われていないころでしたが、ロータリアンの中には切手収集家もかなりいたようです。その人たちが大会の終了2日後の6月27日の夕刻、ニューヨークのエール倶楽部に集まりました。そこでロータリーの記念切手などのない時代、なんと1867年発行の新聞切手(額面5セント)の裏面にその日の宴会のメニューを印刷して参加者に配ったのです。郵趣家のグループの中に新聞社の役員がいらしたのかもしれません。アメリカで新聞切手の使用が中止されてから22年。在庫の切手の裏面をメニューに使うとは、なかなかのアイデアだと思われませんか。ただこの切手、切手の印面が下方にずれているので郵趣的にはあまり良くはありません。それで惜し気もなくメニューに使えたのかもしれません。
実はこのメニュー。何枚作られ、何枚現存するのかわかっていません。市場で見かけたこともこの30年ほどの中で一度もありません。私がこの「切手を使った記念品」を知ったのは、1998年にROS(ROTARY ON STAMPS)の恩人フランスのDr.ルネ・ラガード(故人)から贈られた豪華本「ROTARY INTERNATIONAL ON STAMPS」の最終ページの写真からでした。この書物はエストニア出身のドイツ人エルンスト・テオドール・ユーゲント氏(ROSのメンバー、故人)が1986年に作成したオールカラー・厚手アート紙、240ページにわたる当時の評価額も入った「ユーゲントカタログ」(普及版もあります)と呼ばれるものです。
ラガード氏は1987年のRIミュンヘン大会の友愛の家にロータリーの切手を展示した際、この本をユーゲント氏から贈られたということでその旨が表紙裏に書かれてユーゲント氏のサインが入っています。それを私にくださったのですが、これでロータリー郵趣についてよく勉強するようにという趣旨だったのかもしれません。
ご縁というものは不思議なもので、その8年後、2006年のコペンハーゲン大会(デンマーク)に参加した際、ROSのブースでご高齢ながらお元気なユーゲント氏ご本人にお会いすることができ、「ユーゲントカタログ」に掲載された氏の収集品についていろいろお話しを伺うことができました。中でも私が一番興味を持っていた「裏にメニューを印刷した新聞切手」についてお尋ねすると、いろいろ研究したのだが詳細は不明だったとのことでした。その後、氏が亡くなられるまでの数年間、手紙のやりとりをして教えられたことは切手以外のことも含めたくさんありました。今、私の手元にあるこの1枚はそのユーゲントコレクションからのものです。ユーゲントカタログの写真と比べても、目打ちのわずかな乱れなど寸分たがわぬものであることがわかります。私もいつかはこれをどなたかにバトンタッチせねばなりますまい。