東京都電といえば、かつて東京23区内を縦横無尽に走り庶民の足として活躍したものだ。実は最近、といっても3か月ほど前、札幌在住の友人、平井清高君から、何と8冊目となる彼の私家版鉄道写真集が届いた。2016年5月の第1冊発刊時には2冊で完結、と書かれていたのだが、始めて見るとあれやこれや、まだあるのだがひとまず8冊で「完」、と書かれている。今後は私にとっては興味も関心もない軍艦やヒコーキの本を出すらしい。以前のコラムにも書いたが、私が大学生の頃、高校生の彼と付き合い始めたのだからもう半世紀余りの交友になる。私よりも記録の整理や保管が上手で、写真集もなかなか立派で感心している。
その最終写真集と銘打ったのは「路面電車」の写真集だ。東京都電のほか、京都、札幌の各市電と東武日光軌道や東急玉川線の懐かしい写真が80ページにわたって掲載されている。このコラムでも東京都電をと考えていたのだが、とても太刀打ちできない。それならば、そこに載ってないものはないかと探したら、雨や雪の日の下町の光景が出てきた。
写真①は1967年2月の寒い日だった。小雪が舞う中、29系統(葛西橋~亀戸駅前~両国~須田町)を走る1500型(1523)。場所は「水神森~堅川通」の堅川通電停(電車停留所)付近だったと思う。1500型は1930年代に109両製造された1200型の車体を1961年から延長工事を行い1500型として46両が錦糸堀車庫に配属され、29系統など江東地区と都心を結ぶ路線で活躍した。車体前面がやや傾斜して流線型の趣もあった。この日、屋根の上には少しだが雪が積もっていた。
写真②と③は朝からの雨で水浸しになった専用軌道区間での38系統、7046(門前仲町行き)と8010(錦糸堀車庫行)のすれ違い風景。これだけ線路が冠水していると、今なら運休になるかもしれない。場所は大島三丁目電停と大島一丁目電停の間。現在の江東区総合区民センター付近と思われる。この日は1968年5月3日。祝日で電車のおでこに国旗が掲揚されていた。7046は戦後生まれのヒット作といわれた7000型93両の内の1両。8010は都電の廃止計画が本格化した1956年に「10年もてばよい」とのコンセプトで131両造られた超経済車(7000型の製造費用が1両800万円だったのに対し8000型は700万円)で乗り心地が悪くシートもお粗末だと散々で、計画通り10~15年の内に静かに消えていった。
写真④は1971年11月3日の亀戸駅前電停。雨上がりの電停で次を待つのは29系統(葛西橋方面)か25系統(小松川方面)に乗る人達であろう。反対側の29系統「須田町行き」は錦糸町⇒両国⇒浅草橋と国鉄(現JR)総武線沿いに都心に向かう神田への路線だった。6081は第2次大戦後の復興時、1948年から1952年にかけて290両製造された6000型の初期型の1両で、車体は新製だったが台車は戦争で被災した旧3000型(木造車)のものが使われた。この日が文化の日だったのは覚えていたが何年かが不明だった。写真をよくよく見たら江口日東証券の看板がある。江口証券が日東証券との合併で社名を変えたのが1971年。翌1972年にはこの路線を含む錦糸堀電車営業所が廃止されたので、「1971年」とした。
平井君の写真集に掲載されていない都電風景ということで、雨や雪の日の都電を掲載したが、本当は銀座四丁目交差点や歌舞伎座前でも写真を撮っている。そういえば建て替え前の帝国ホテル玄関前でも撮ったことがある。いずれ忘れた頃にご紹介しよう。