• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

今回ご紹介するのは84年前の一通のクリスマスカードです。あて先は米国ジョージア州のマリエッタ・ロータリークラブ(RC)①、差出人はエストニアのタルトゥRC②で1938年の12月24日の消印が①にあります。クリスマスイヴに差し出されたこのカードには写真③をめくると、エストニア語と英語でクリスマスメッセージ④が書かれています。ロータリー関係の封筒はかなり残されていますが中身のあるものは珍しく、10年余り前の入手時から気になっていたこの2クラブについて調べてみました。

まず差出人のタルトゥRCは、エストニア第2の都市タルトゥで1932年4月に創立されました。エストニアでは1929年12月に発足したタリンRCに次ぐ歴史を持っています。首都のタリンは政治・商業の中心地ですが、タルトゥは学問・文化の中心地と言われ、エストニア最古の大学タルトゥ大学があります。タルトゥRCのホームページによれば、現在のタルトゥRCのプロジェクトの一つに「ユリ・カーナー記念財団奨学金制度」があり、タルトゥ大学の教師養成の修士課程で自然科学の教師になるために学んでいる学生を支援しています。ほかにも多くのプロジェクトを持っていますので関心のある方はぜひタルトゥRCのホームページをご覧ください。
タルトゥRCの歴史は1932年の創立からわずか8年後の1940年9月7日に国内防衛長官の決定により、ソロプチミストクラブなどとともに一斉に中断されてしまいました。その時点ではエストニア軍の将軍も会員になっていたようですが、ちょうど日本で東京RCなどが次々と国際ロータリー(RI) を離脱せざるを得なくなっていたのと同じ時期です。その後ソ連の占領下に置かれ、復活にはだいぶ日時を要しました。チェコのRCなどと同じ1990年ごろから復活の動きが始まり、1992年に再チャーターが実現しました。

このクリスマスカードは1938年の暮れのものですので、第二次大戦前夜、まだクリスマスを祝う雰囲気はあったのでしょう。宛先は米国ジョージア州マリエッタRCです。マリエッタはアトランタのベッドタウンの一つで、2000年の人口は58,748人と記録にあります。マリエッタRCはアトランタRCのスポンサーにより、1919年10月1日にRIの認証を受けました。
タルトゥRCとどのような交流があったのか定かではありませんが、おそらくどちらかのクラブのロータリアンが出席補填のために相手のクラブを訪問したことで交流があったものと考えられます。

私のコレクションにはマリエッタRC宛の封筒が10通ほどあります。1938年ごろのものが多く、バンコクRC(タイ)やオスロRC(ノルウエー)からのものもありますが、中身はありません。そう思って見逃していたのですが、オルバリーRC(オーストラリア)からの封筒⑤が少し厚いのでもしやと思い確認しましたら、中からクリスマスカード⑥が出てきました。発信日付は1938年12月3日でした。オルバリーRCは1927年11月2日にシドニーRCのスポンサーで認証されたかなり活動的なクラブで、地元のライオンズクラブとの共同プロジェクトもあります。恐らくマリエッタRCのロータリアンの来訪で交流が始まっていたのではないでしょうか。

冒頭のエストニアには2006年5月にコペンハーゲン(デンマーク)でRI年次大会が開催された後にヘルシンキに数日滞在し、その中の1日、船でタリンまで小旅行をしました。往路は朝の快速艇、帰路は夕食付の豪華客船の1等室で、パスポートへの入国スタンプも船のマークが入っていて、なかなか楽しいものでした。タリンしか見て回れませんでしたが、街の中央部、ロシア教会の近くに郵便局がありました。その前年(2005年2月11日)に発行されたロータリー100周年記念切手を購入し、日本の我が家はじめ諸国のROSメンバーにその切手を貼ってはがきを出したのを昨日のことのように思いだします。郵便局窓口のおばさまはとても親切でした。あの頃タルトゥRCのことを知っていればとも思います。


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