首都圏から日帰りで乗りに行ける保存蒸機列車といえば、真岡鐡道の「SLもおか」、東武鉄道「SL大樹」、秩父鉄道「SLパレオエクスプレス」、JR東日本(高崎の「SLぐんまみなかみ」と「SLぐんまよこかわ」、および新津の「SLばんえつ物語」)、そして歴史・規模ともに最大の大井川鐵道「SL急行かわね路」の5者であろう。小湊鉄道の「さとやま号」は蒸気機関車の形をしたディーゼル機関車なので対象外。
このうち今回のコラムでは大井川鐵道と真岡鐡道をご紹介しよう。
大井川鐵道は1971年に日本で最初の保存蒸機列車の運行を始めた会社で、現在もほぼ毎日運行されている。国鉄(現JR)蒸気機関車の現役最後は1971年3月、北海道追分機関区構内の入れ替え作業をしていた3台の9600型蒸機であった。その最後の日から1年も経たずに大井川鐡道は国鉄から譲り受けたC11型式蒸気機関車により、定期列車として平日も含めて「SL急行」を走らせたのである。これには当時名古屋鉄道から移籍し大井川鐡道の副社長になっていた白井昭氏(鉄道フアンとしても著名)の尽力が大きかったと記憶している。
私が初めて大井川鐡道の蒸機列車を訪ねたのは1977年4月、4歳の長男を連れて乗りに行った時だった。早朝千葉を発ち、新幹線こだまで静岡乗り換え、東海道本線の金谷に降り立った。大井川鉄道の指定券と車内弁当は予約してあったので、子連れでもゆったりと乗り込むことができた。ただこの時はほとんど撮影行動ができず、終点の千頭で記念写真を撮って、折り返しのSL急行で帰った、という記憶しかない。
その2年後にようやく本腰を入れて撮影に出かけた。保存蒸機列車というのは何となく見世物のような気がしていたのだが、大井川鐡道は特別な日にだけ運行するのではなく、定期急行列車として毎日走らせていたのと、使われている客車が国鉄時代そのままの茶色の客車だったので、「まあ行ってみようか」と友人と出かけたのだ。この日はナショナルトラストの列車も含めて3往復6本の蒸機列車が走る日だった。
ちょうど新茶の頃で列車の先頭はC11227①。この機関車は北海道の標茶で出合ったことのある機関車で、大井川鐡道が保存蒸機列車のために導入した最初の機関車である。今も元気に走っている。自動車で出かけたので、次駅停車中に追い抜いて同じ列車を次の撮影ポイントではカラーで撮影した②。鉄橋上は風が吹く(通り抜ける)ことが多く、蒸機の煙が手前に来てしまったが、こんな雰囲気もまた楽しからずや。③は千頭で折り返してきた上り列車が大井川に沿って走る様子。大井川鐡道といえば茶畑を連想するが、ここは深山幽谷の印象であった。大井川も場所によっていろいろな姿を見せるが、④のあたりは川幅も広く、長いカーブする鉄橋を渡ってきた列車はC5644が牽いている。1両目の客車はスハフ432で、旧国鉄の特急「さくら」や「はつかり」などに使われた特急型車両。現在は同僚のスハフ433などとともに日本ナショナルトラスト協会の所有になっていて、大井川鐡道が管理している。機関車のC5644は昨年4月17日のコラム「各地で見たC56」にも登場した、あのタイからの帰還車である。
さて、真岡鐡道は非電化路線である。電化されている大井川鐡道と異なり、電柱や架線のない線路上をのびのびと走る保存蒸機列車は関東地方では他にない。というわけで1995年の新緑の頃に、札幌在住の平井清高君の上京に合わせて一緒に出かけてみた。
真岡鐡道は1988年4月11日に旧国鉄真岡線を転換した第三セクターで、下館~茂木(もてぎ)間41.9km、17駅を有している。「SLもおか」は沿線自治体で組織する芳賀地区広域行政事務組合と下館市(現・筑西市)の委託を受け、1994年3月27日に運行を開始した。機関車はC1266で、国鉄時代には長野・上諏訪機関区での入れ替え仕業や小海線での野菜臨時貨物(キャベツ輸送)への応援が知られている。
「SLもおか」の詳細は真岡鐡道の公式サイトhttps://www.moka-railway.co.jpをご覧いただくとして、3両の客車(旧国鉄50系)を牽いて新緑の中走る姿⑤をご紹介しよう。客車は栗色に白帯⑥だったがリニューアルされ現在は赤帯になっているらしい。ちょうどこいのぼりが掲げられている⑦頃だった。