私が1992年5月に船橋南ロータリークラブ(RC)に入会した頃、チェコのプラハにRCが復活したことを知りました。復活ということはかつてRCがあったということですから、日本のロータリーの歴史と重なる部分があるように思いました。しかし実際は、解散したのではなく侵略者によって解散させられた、というのが正しいようです。
1938年5月13~15日の3日間、チェコスロバキアのKOSICE(コシツェ、現スロバキア第2の代表的工業都市)で、国際ロータリー(RI)第66区(中央ヨーロッパ)の第11回地区大会が開催されました。郵便物に大会の記念消印が使用されました①。このハガキは大会2日目、14日の日付になっています。②は①の裏面で大会の記念はがきになっています。写真は今も観光で有名な「聖エリザベス大聖堂」です。実はこの大会の直後、ナチスによってこの地域のRCは解散させられたとROTARY ON STAMPS(ROS)の資料にありましたが、大会3日目の15日に会場にナチスが押しかけたとの伝聞もあり、正確なところは第66区の正史の確認が必要ですが、その記録がどこにあるのか・・・。
第2次大戦の終結後、日付は不明ですがこの地域のRCは早い時期にRIに復帰し、第66地区は復活していたものと思われます。③の記念消印を見ると、1947年4月17日に同じチェコスロバキアのPLZEN(プルゼニ、現チェコ共和国のボヘミア地方西部に位置するチェコ第4の都市)で第66区の第12回大会が開催されたことがわかります。実はこの大会後、今度は共産党によってこの地のRCは解散させられました。
この2度目の悲劇の後、長い間RCの復活はなかったのですが、今からおよそ30年前、1989年の「ビードロ革命」を経て、チェコスロバキア(当時、現在はチェコおよびスロバキア)にも他の東欧諸国同様、民主化が実現しました。ベルリンの壁崩壊と同時期の出来事です。1969年の「プラハの春」失敗で失脚したドゥブチェク元共産党第1書記が連邦議会議長として復権し、大統領にハヴェル氏が就任したその直後、1991年5月2日にプラハRCが復活し、認証状伝達式が開催されました。その記念カード④にはハヴェル大統領を描く切手が貼られ、記念の消印が押されています。現在プラハには8つのRCがあり、そのうちRC of Prague Internationalは英語で、RC Prague Bohemiaはドイツ語で例会を進行する、と説明にあります。8クラブとも7~8月は休会となっています。
20年ほど前にプラハ中央駅とバーツラフ広場の中間点(どちらにも徒歩10分弱)近くの由緒あるパレスホテルに6泊してチェスキークルムロフやドイツのドレスデンに列車で日帰り旅行をしたりしましたが、あと1日日程が足りず上記のプルゼニに行くことができませんでした。プルゼニはビール好きな方なら「ピルスナービールの元祖誕生の地」であることをご存じでありましょう。そしてプルゼニRCの復活にはROSの友人であるイヴァン・カルドー(ドイツ/ハノーバーRC)さんが特別代表として関わられておりました。そこでお会いする話もあったのですが、私の休暇にゆとりがなく大変残念なことをしたと思っています。