国鉄(現・JR)鹿島線というと、千葉県民の私にとって、「地元の鉄道」としては最も遠い存在だった。開通も1970年8月20日で、既に社会人になっていた私は開業式典などに出かけられなかった。蒸気機関車が活躍したことのない県内唯一の国鉄(現・JR)路線でもある。そうはいっても一度は訪ねてみようと、重い腰を上げたのは1983年5月のことだった。
それまで成田空港への航空(ジェット)燃料のパイプラインの建設が遅れ、1978年からは鹿島港や千葉港から成田市土屋の燃料基地まで、貨物列車で燃料の暫定輸送が行われていた。1983年になるとようやく千葉港から空港までのパイプラインが完成し、燃料輸送の貨物列車の廃止が取りざたされるようになった。その撮影も兼ねて鹿島線に出かけてみたのだ。
土屋の燃料基地にはその前に出かけたことがあった。今は賑やかなイオンタウンのあたりである。一面何もないところに鉄道の線路が何本も敷かれ、DD51型式ディーゼル機関車(DL)がたくさんのタキ40000や43000型タンク車を従えていた。当時は空港に反対する過激派への監視が厳しかった。私が車を停めて燃料基地のDD51にカメラを向けた瞬間、機動隊員が飛び出してきた。撮影に一番良いところに監視塔があったのだ。運転免許証を見せろと言うので「何のため?」と聞いても無言。前科を確認しているらしかった。その間に数コマ撮影完了。監視塔から俯瞰撮影したかったが、無理な注文はせずに引き上げた。
さて鹿島線に話を戻そう。鹿島線は成田線の香取駅で北へ分岐し、十二橋(じゅうにきょう)、潮来(いたこ)、延方(のぶかた)を経て鹿島神宮駅に向かう路線である。正式には北鹿島(現・鹿島スタジアム)までとなっているが、実際は鹿島神宮が終点で、サッカーの試合がある時だけ臨時運行があるようだ。また、実際の運行は香取から一つ成田寄りの佐原駅で成田線と分割されている。
香取を出ると左に大きくカーブする築堤を登って利根川橋梁を渡り十二橋駅に向かう。①は113系(現在は209系)の普通電車が田植えの終わったばかりの田んぼを見ながらさっそうと走っていく様子。その先の利根川橋梁は大変長い巨大なトラス橋②で、183系の特急「あやめ」が香取に向かって轟音とともにやってきた。特急「あやめ」(東京~鹿島神宮)は鹿島線が電化された1975年3月10日に153系の急行「鹿島」とともに走り始めた。「鹿島」廃止後も2015年3月14日のダイヤ改正まで新型255系に変更されつつ走り続けた。しかし、鹿島~東京の移動はバスにお客が移り、「あやめ」廃止もやむを得なかったのであろう。皮肉にも相手は国鉄(現・JR)バスだ。
③はDD51重連。これが燃料輸送の専用列車である。大型タンク車数十両を従えて、見とれてしまうほど壮観だった。④はさらに北の方、延方~鹿島神宮の北浦橋梁を渡る普通の下り貨物列車。この湖(北浦)を渡る鉄橋もかなり長大であった。⑤は終点鹿島神宮駅の跨線橋で撮ったもの。ここに北から乗り入れる鹿島臨海鉄道鹿島臨港線(鹿島神宮~神栖。現在は貨物のみ。大洗鹿島線はまだ無かった)のキハ1000型(旧・国鉄キハ10型式)の姿。後方のDD13らしきDLは鹿島臨海鉄道がDD13に似せて新製したKRD(1~5)の一両である。
最後に鹿島線関係の記念乗車券などをご紹介しておこう。⑥は特急あやめの運転開始記念乗車券と入場券。記念入場券の方は東京~銚子の「しおさい」号との3枚セットなので、そのうち「あやめ」の1枚。⑦は鹿島線開業10周年記念入場券だが、3枚セットの内列車が写っているのはこれだけなので、袋の表紙とともに。この頃は記念乗車券などが大乱発で、デザインが良くないものばかり。それを買っていたのはどこの誰?