新潟県の新津と秋田を結ぶ羽越本線に今川駅がある。私がそこを訪れた時はまだ「今川信号場」と呼ばれる「駅ではない駅」だった。普通列車が1日上下各8本停車した。駅に昇格した今もそれは変わらず、時刻表で確認したら現在も1日上下8本だった。以前は信号場だったので、次の駅までの運賃が必要だった。入場券①も置いてあって一つ秋田寄りの「越後寒川(えちごかんがわ)駅」の入場券にゴム印で「今川信号場」と表示されていた。日付は昭和44(1969)年6月29日。損保会社に入社して残業と日曜出勤の多い3か月が経ち、やっと撮影に出かけた日曜日だった。
その前日私は上野から夜行急行「羽黒」で少し先の温海(あつみ、現・温海温泉)駅まで行った。新津からの牽引機はDD51の1号機。ボンネットやキャブが丸みを帯びた試作車でラッキーと思ったのを思いだ出す。五十川寄りに少し歩いた高台で大阪から来る20系ブルートレイン特急「日本海」を撮り、折り返し上りの普通列車で今川信号場に降り立った。手前の越後寒川からのロケハンでは結構いい場所があるように思えた。
今川集落には屋根の上に石を置いた建物も残っていて、そこへD5182(新津機関区)の牽く下り列車②がやってきた。D51の次位に軽量寝台客車が1台つながれているが、これは回送であろう。50年以上経った今は想像もできないが、線路に沿って日本海を間近に見る国道345号線は舗装どころか砂利も土に埋もれたような道で、山の中を走る国道7号線のおかげで、こちらはのんびりと歩くことができた。国道のトンネルは素掘りのままコンクリートで固められておらず、下り貨物列車のこんな写真③(機関車は酒田機関区のD51292)も撮れた。④はほぼ同じ場所で鉄道のトンネルの上によじ登って撮ったもの。機関車はD5128(酒田機関区)。これも下り貨物列車だが、当時は貨物列車の本数が多く、ああまたD51だ、という感じだった。それでもこの日は②も④も初期型のD51で幸運だった。さらにご覧いただきたいのは線路端の草などがきれいに刈られて、保線管理が行き届いていることだ。雑草の生い茂る季節でも、かつてはどこへ行ってもこうだった。線路端にはゴミ一つ落ちていない。鉄道員の誇りを一鉄道ファンの私もずいぶん聞かされたものだが、最近は人手不足をよく聞かされる。
日本海沿いを走るこのあたりは「笹川流れ」と呼ばれる名勝があるそうだが、その奇岩はよくわからなかった。景色の良いところであることは間違いなく、現在では夕日を見る名所や海水浴場もあって観光汽船があるらしい。国道345号線も立派に舗装され、私が撮ったような風景はないのだそうだ。