普段はあまり関心のなかった小さな蒸気機関車(いわゆるBタンク)を撮ったのは1967年で、夏の北海道撮影行では国鉄(当時)の最小蒸機B20①と明治礦業のクラウス②③を訪ねた。
当時B20は北の小樽築港機関区と南の鹿児島機関区に1と10がそれぞれ配属されていた。第2次大戦末期から終戦直後にかけて国策の統一規格に基づいて製造された産業用機関車のタイプで、およそ国鉄型蒸機とは異なるものだった。15両が造られたが、用途は構内の入れ替えが主で、多くは比較的早く廃車になった。私が撮ったB201は当時小樽築港機関区でマスコット的存在として知られていた。あまり使われることはなかったようだが、私が訪ねたのは「小樽築港機関区開基40周年祭」の前日で、丁度撮影用に機関車達を並べ終えた時だった。
40年祭のことは知らずに行ったのだが、千葉鉄道管理局を通じて事前に撮影許可をとってあったので、テレビドラマ「旅路」で有名だった9633などを存分に撮影できた。翌日配布予定の記念手ぬぐいなどもいただき、翌日再訪もしたかったがその夜、鈍行423列車で尺別に向かわねばならなかった。以前に書いた鶴井村営軌道などを訪ねた話につながる。B201は現在旧万字線朝日駅跡の「万字線鉄道公園」に静態保存されている。
3日間の釧路方面(雄別鉄道など)撮影後、夜行急行「まりも」で道央に戻り、明治礦業昭和鉱業所にクラウスを訪ねた。ドイツ・クラウス社製の小型蒸気機関車は九州鉄道(のち国鉄)が輸入したもので、そのうちの2台15、17がそこで働いていた。いずれも1889年製の古い機関車だった。その日は15号機が構内の石炭車の入れ替えに働いていた④。恵比島駅入場券⑤は国鉄の券だが、留萌鉄道にもちゃんと硬券の乗車券や入場券があった⑥。「昭和」駅入場券といえば昭和64年1月7日付の鶴見線の昭和駅が有名だが、こちらの昭和駅もお忘れなく。
15号機は私が訪ねた5か月後に廃車となり、現在は石狩沼田町の農業記念館にあるらしい。もう一台の17号機は1969年5月の炭鉱閉山まで働き、なんと池袋の西武百貨店でオークションにかけられ107万円で売却された。大阪万博で展示されるなど変転を経て、現在は「那珂川清流鉄道保存会」に健在。
最後は東洋活性白土の「くろひめ」号こと2号機だ。本年4月17日のコラムに、大糸線の小滝でC56の貨物列車を撮った後、糸魚川の小さな蒸機を撮りに行ったと書いた。その小さな蒸気機関車が東洋活性白土株式会社の専用線(国鉄糸魚川駅と工場の間700m)で働いていたナローゲージ、軌間610ミリのBタンクロコである。私が実見した現役の機関車としては最少だった。この日も火が入っていたが、いつ動くかは工場での製品の仕上がり次第というわけで、翌日の用事のために、走る姿はあきらめて帰途についた。見ておわかりのように、当時としては新しい機関車で、1956年協三工業製造、わが国最後の実用蒸気機関車と言われている。実はこの製番の機関車を協三工業の工場内で1951年に見たという人がいて、多分その頃造られたストック品を1956年に東洋活性白土が購入したというのが真相らしい。価格も75万円と破格の安値だった。会社は1982年10月に解散し、2号機は翌年糸魚川市に寄贈された。