1989年といえば30年余り前のことだ。高校生の留学が単位として認められる(つまり1年間留学しても帰国後日本の高校で進級できる)ようになった最初の留学生として米国ニューヨーク州に行っていた息子の帰国祝いに、オーストラリアへの家族旅行をした。私の英語力はともかく、通訳に不自由はなかった。メルボルン~キャンベラ~シドニーと1週間ほどの旅だったが、いくつか鉄道に触れることができた。
世界で最も安全といわれていたカンタス航空の夜便で翌朝シドニーで乗り継ぎメルボルンに昼前に着いた。街を歩いて驚いたのは市街電車が縦横に走り、旧型市電もかなり頑張っていたことだ。都電で言えば1960年代前半の感じだった。①は国鉄メルボルン中央駅前の風景。駅舎に古い市電がよく似合っていた。②は今も主力の新型車。それに派手な広告塗装をした③もよく見かけた。でもやはり④のような旧型市電の走る街角の方が落ち着いていた。メルボルンでは郊外でペンギンの観察などをした。 キャンベラは首都としての新しい街だけかと思っていたら、「開拓時代の十字路」という場所があり、そこに立って開拓者や先住民アボリジニの人たちの思いを想像した。メルボルン⇒キャンベラは空路だったが、キャンベラ⇒シドニーは鉄道にした。特急S22列車⑤(キャンベラ駅)は4時間8分でシドニーへ私たちを運んだ。ちょうどよい距離、よい速度だった。途中の草原では牛の群れに行く手を阻まれ10分ほどの停車もあった。
シドニーでは前年(1988年10月21日)に開通したモノレールが活躍していた⑥⑦。1編成7車体(56席)で全長3.6kmの環状線を反時計回り(一方通行)に常時4編成で運行していた。所要12分だったので4分毎にやってくるダイヤだった。トークンというコインを買ってホームに入り乗車するシステムだった。シドニー開府200周年記念事業として計画された交通システムで、港湾再開発地区と中心部を結び、無人・自動運転だった。このコラムを書くため運行会社のTNTのホームページを見たら、なんと2013年6月30日に廃止されていた。地下鉄でもできたのだろうか。訪問した時は開通1周年記念でトークンのセット⑧⑨やHOサイズの模型などの記念品を売っていて、その模型は最近まで孫が遊んでいた。なぜ廃止されたのかは明らかではないが、世界で最も高コストな交通システムだったようだ。
シドニーの観光はコアラやワライカワセミのいる動物園とブルーマウンテンなどに出かけたが、途中、乗っていたハイヤーを停めてそこへ行く郊外電車➉を撮影した。電車があるのだったらその方が楽しめたかもと、準備不十分を反省した。