前回の鉄道のコラム「高原のポニー」に、C56はあまり関心のない機関車だった割に、各地で撮影したことを記した。このコラムでも2018年8月17日の「豪雪の飯山線」に2枚のC56を掲載した。
私は学生時代鉄道研究会に入っていて、1967年9月初旬、3学年時の合宿で大糸線の簗場に行った。往復とも各人の自由行動でその経路や体験を自慢し合った。私は帰路、大糸線の北部を走るC56と糸魚川にある東洋活性白土という会社の専用線(軌間600mm)の小さな蒸気機関車を撮りに行った。その時のC56が①②である。大糸線は当時松本~信濃森上61.6kmは電化されていたが、信濃森上~糸魚川48.3kmは非電化区間で貨物列車にはC56が使われていた。①は小滝駅に停車中のC56102が牽く貨物列車。このC56102は飯山線時代にも撮ったことがあり、その時はツララ除けを付けていた③。小滝を出た先には鉄橋があり、それを渡って北へ向かう姿が②である。
C56はその手頃な大きさから地方の私鉄からも引き合いがあったが、第2次大戦中タイ・ビルマ方面に軍事供出され、C561~90の90両が海を渡った。そんな時期に私鉄がC56を新規発注することはできなかった(元雄別鉄道機関区長談・故人)のだが、北海道釧路の雄別鉄道は雄別炭鉱の石炭運搬や旅客輸送の増強にこのサイズの機関車が欲しかった。国策の石炭産業との絡みもあって軍部も大目に見たらしく1941年に1台のC56が雄別鉄道に配備された。しかしそのような事情もあり、ナンバーはC56ではなく「1001」とされた④。そして1967年7月に私が訪れた時は主に通学列車の牽引機として活躍していた。ナンバープレートをよく見ると「1001」の下に小さく「型式C56」と入っている。残念ながら1970年の炭鉱閉山・鉄道廃止により廃車解体されてしまった。
さて第2次大戦中90両のC56がいわゆる南方戦線に駆り出されたのだが、無事現地(タイ・ビルマ)に着いたのは7割ほどといわれている。タイでは北部のタイメン鉄道での活躍が「戦場にかける橋」で有名だが、その生き残りC5615と17の2両が現在もトンブリ機関区で動態保存されているという。1966年12月に千葉県の第1回青少年海外派遣団10名の一員として東南アジア歴訪をした私は、バンコクでの自由行動中に1人でバンコク西部のバンスー操車場を訪ねた。734と書かれたC56に出会った⑤。タイ国鉄の記録ではC5643である。続き番号の735というナンバーになっていたC5644は、725になっていたC5631とともに1979年に日本への帰還を果たした。31号機はタイでタイメン鉄道の開通式に使われた機関車で帰国後は靖国神社に奉納され、そこで出合うことができる。44号機は大井川鉄道が引き取り、現在も現役で働いている⑥。
最後のカラー写真⑦は現在京都鉄道博物館に保存されているC56の末っ子160号機である。1987年8月24~25日に「SL毎日号」が千葉県の成田~木更津間で運行された。そのどちらの日かは記憶がないのだが、佐倉~酒々井間で上り列車を撮影した。この160号機は、1972年以来京都梅小路の蒸気機関車館で動態保存され、全国各地に貸し出されて多くの人々を楽しませたが、2018年5月27日の「SL北びわこ号」を最後に静態保存となった。