• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

日本のロータリークラブ(RC)は1940年8月から1941年末までに当時あった37クラブ(内地のみ)すべてが戦時下、解散し国際ロータリー(RI)から脱退しました。その多くは水曜会や金曜会などと名前を変え、ロータリー精神を継承して例会を続けていました。第2次大戦終結後間もなく再建(RIへの復帰)の機運が高まり、RIとの協議を進めました(注・RIでは復帰を再建と称し新クラブと同様に認証状を発行しています)。
その経緯等はジョージ R. ミーンズ元RI事務総長が書いた「日本ロータリー再建の頃」(『ロータリーの友』1976年9月号~1977年4月号に連載)が詳しく、私は何回も読みなおしました。
上記のように日本のRCはRIから脱退したのち名前を変えて活動し、東京RCは「水曜倶楽部」だったと聞いていました。15年ほど前のある日、懇意にしている郵趣業者から福岡ロータリークラブ宛の封筒①を見せられた時、再建後1年しかたってない日付であることにまず目が行きました。もしかしてと裏面②を見て驚きました。何と水曜倶楽部の「水曜」が抹消されて「東京ロータリー」とゴム印が押されているではありませんか。これは紛れもなくその前年まで東京RCが水曜倶楽部として存在し活動していた証(あかし)ではないかと強く思った次第です。

さて、1949年3月29日の東京RCを皮切りに、京都(4/5)、大阪・名古屋・神戸(4/13)、福岡(4/22)、札幌(5/2)と再建が続き、この7クラブでRIの第60区が構成されました。翌1950年4月8~9日に第1回の第60区年次大会が戦争の災禍を免れた京都で開催されることになり、それまでに再建した26クラブと戦後新設された4クラブ(一宮、小倉、姫路、津)の計30クラブから約1,200名の会員中681名が参加し盛大に催されました。ホストクラブは京都RC。会場は同志社大学栄光館などで、4月7日の前夜懇談会は京都銀行集会場で開催されました。RI会長代理は日本のRCの復帰を決めた時のRI会長アンガス S. ミッチェル氏でした。
この時、「国際ロータリー倶楽部復活大会記念」という小型印(イベントなどで使われる記念の消印)が京都中央郵便局③と西陣郵便局④で使われました。西陣の消印はあまり見かけません。京都中央の方は4月12日の日付のものもあり、大会期間後も使われたのでしょうか。例年よりも桜の開花が1週間早かったと記録にあり、この消印に見られるように桜花爛漫の京都での大会は素晴らしかったものと思われます。
この消印が押された実逓便(実際に使われた郵便物)はほとんど残っていないのか、私のコレクションにも⑤が1枚あるだけで、他に見たことがありません。大会の2か月前に発行された文化人シリーズの「福沢諭吉」が貼られています。名宛人は確認していませんが、差出人はロータリアンだったようです。

(本コラムは『日本ロータリー50年史』(同編集委員会発行・S46)を参考にしました)


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