私の鉄道の最初のコラム(2018年4月10日)に美流渡(みると)の8100について書き、その2年前に夕張の真谷地専用鉄道で会ったことがある・・・と記した。今日はその真谷地時代の話だ。
私は1965年の7月11日13時30分上野駅発、特急はつかりで鉄道好きの友人と3人で初めて渡道した。3日目に夕張に入った。私は高校2年の夏(1963年)、各都道府県から男女一人ずつが集まる全国青少年代表者会議というのに千葉県から参加したのだが、その時知り合った北海道代表だったMKさん(の親御さん)が男子三人旅を一泊させてくださるというので、肝心の鉄道のことを少し忘れて夕張線の紅葉山駅に降り立った。
いろいろ話をするうち、隣駅の沼ノ沢から時刻表に載っていない真谷地(まやち)炭鉱までの鉄道①があることがわかった。翌日は清水沢で三菱石炭鉱業大夕張鉄道を撮り、鹿ノ谷から夕張鉄道で野幌経由札幌に行き、夜行急行「まりも」に乗って釧路に向かうことになっていた。時間はあまりないがぜひ寄ってみようということになり、紅葉山9:55発の719Dで沼ノ沢には所要5分で着いた。次の11:19発721Dまでにうまい具合に客レが入ってくるという。跨線橋からはD51が牽く夕張線の石炭列車が通過する様を捉えた。
そうこうするうち、北海道炭砿汽船真谷地砿業所専用鉄道の5052(旧国鉄8118)が2両の古い木造客車を従えて到着②した。機回し線を使って反対側に機関車を据え付けたところでしばし撮影③~⑦の時間があった。美流渡では外されていたが、機関車の正面には、北海道に初めて鉄道を敷いた北海道炭砿汽船株式会社の社章が誇らし気に掲げられていた。
この駅を出た先には大きなカーブがあり、そこなら良い写真が撮れると聞いたが時間がなくあきらめた。今思えばなぜあの時・・・という思いも。2年後の夏の一人旅で雪辱を果たそうと思って出かけたが、真谷地は美唄から転じた4110型(5056)に代わって⑧いた。真谷地のカマは美流渡に移っていてそこで再会できたのだが、それでめでたしめでたしという世界ではない。しかしながら、あの大カーブは10‰以上の上り勾配が続き、この写真の左から右端まで、「ボッ・ボッ・ボッ・ボッ・・・」という感じで5分近くかけて登っていった。録音もした。
⑨は紅葉山駅と登川支線の隣駅「楓」の入場券。紅葉山は乗車時に入手したが、楓の方はMKさんが送ってくれたもの。紅葉山の隣が楓、風情がありますよね。石勝線ができた時、登川支線はその一部になり、紅葉山は新夕張に改名されてしまった。
⑩は紅葉山~夕張のサボ(客車側面の行き先札)だが、この区間は石勝線の開通でこちらが支線になり、人口の減少などにより昨年3月末で廃止され126年5カ月の歴史に幕を降ろしてしまった。炭鉱でにぎわったあの「夕張」はもうない。