• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

昨年といっても10日ほど前の話だが、古い資料を整理していたら、東千葉駅(JR総武本線・当時は国鉄)開業の記事(千葉日報、1965/12/21朝刊)の切り抜き①が出てきた。55年前の記事で私の名前が載っている。
1964年にやや東京寄りに移転した千葉駅の跡地(現在の千葉市民会館の場所)の近くに「東千葉駅」が地元商店街の強い要請で開業したのは1965年12月20日のことであった。当時私が住んでいたのはそこから徒歩15分ほどのところだった。学生で時間はあった。「よし、入場券のナンバーワンを入手しよう」と夕食後に小さな椅子と毛布を抱えて出札窓口の前に行った。まだ誰もいなかった。私の存在を察知した駅前の不動産屋のオジサンが「俺に一番を譲れ」というのでよく聞いたら、当時有名な乗車券類収集家のON氏から謝金付きで頼まれていたのだそうだ。あの人はこうやってナンバーワン集めをしていたのか、ということもわかったが、駅員の話では、頼まれた人はその日何回も様子を見に来ていたのだそうだ。開業一番列車は下り列車だし、彼が欲しいのは上りの千葉までのナンバーワンということがわかり、それを私は買わないことで納得し、私の次に並んで朝までお話をしたりして過ごした。もう一人深夜になってからやってきた。
夜は長かったが、駅員からお茶の差し入れもあり何とか朝を迎えた。近くにコンビニはおろか飲料の自販機もない時代だった。
早目に窓口を開けてくれた親切な駅員にいろいろ注文して希望の券②(掲載は一部)を購入した私は、4時56分発下り431D成田線回り銚子行きに乗り、隣の四街道駅に向かった。現在の隣駅「都賀」はまだ信号場の時代で、一部停車する列車もあったがこの列車は通過扱いだった。四街道駅では15分の待ち合わせで上りの一番列車2432D千葉行きが来る。その間に四街道から東千葉の片道乗車券のナンバーワンを購入。下り方面の物井までの運賃が同じため、両矢式の券で裏を見ると四街道から20円区間の表示になっている。東千葉からの20円区間も同様で、四街道ではこの券が東千葉関連の唯一の乗車券だった。
上り2432Dで千葉へ。欲深い私は千葉駅に3つある出札窓口すべてで「千葉~東千葉」のナンバーワンを購入③。この様式の券は往復の場合2枚に「ゆき」「かえり」のゴム印を押して発売するので往復券は作られなかった。千葉駅には自動券売機も設置されていたが、○○円区間ゆきの表示だったのと、前日からの連番なので購入する意味がなく最初から考えになかった。これで満足した私は6時には帰宅し、ひと眠りしてから撮影などでお世話になっている千葉鉄道管理局文書課広報係に出来事を報告。それが報道発表に加えられ、①の記事になったようだ。もちろん10時からの記念式典にも千葉鉄道管理局の腕章をお借りして撮影に出かけた。
以下は余談だが、1967年12月1日に当時住んでいた家の近くを走る京成電鉄の京成千葉駅が「国鉄千葉駅前」駅に改名された。当然乗車券は新規になり最初の人はナンバーワンを手にできる。だがもう徹夜で並ぶのは大変なので早朝窓口の開く直前に出かけたら、10人近くが並んでいた。ところが出札窓口の脇に自動券売機があり、そこには誰もいなかった。券売機は硬券ではなく人気のない軟券だが一番(0001)には違いはない、とさっとそちらに行き最低運賃区間の乗車券を入手した。窓口の方も子ども用の35円区間から数枚のナンバーワンの硬券を買うことができた。
もうひとつ、先述の都賀(つが)駅は、1968年3月28日に信号場から駅に昇格し、乗車券類も発売されるようになった。この日は用事があって出かけることができなかったが、私より若い友人でイニシャルの同じKH君(今は札幌在住)が入場券のナンバーワンを入手してくれた。感謝の言葉しかない。


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