先日、ある忘年会に参加した際、数名からポルトやリスボンのトラムの話が出た。そうだ、以前私もポルトガルに行ったぞ、と写真を見直してみた。
10年ほど前、ポルトガルを訪ねリスボンとポルトに3泊ずつの短い旅をした。今でも印象に残っているのは、夕刻ロンドンで乗り継いだBA機が起伏の多いリスボンの上空に着いた時、山の斜面と平地に密集したすべての建物や街灯に電灯色の明かりがともり、きらめく満天の星空の中に吸い込まれるように着陸したことだ。
リスボンではあちこちにケーブルカー①(市営交通でバスなどと同じ料金)があり、その一つに乗ってモラエスの生家を探した。その入り口の上にはポルトガルで有名なアズレージョによる説明板②が掲げられていた。右半分は日本語(縦書き)で「萄国海軍士官にして作家たりしヴェンセスラウ・ジョセ・デ・ソーザ・モラエス(1854~1929)が生まれ育ちたるはこの家なり。長き歳月を愛する日本に過ごしたる彼は祖国に思いを馳せつつかの地に死せり。日本国 宇留野清華書」とあり、左半分にはポルトガル語でその旨が書かれていた。作成したのはリスボンロータリークラブと記されていた。シントラやユーラシア大陸の最西端ロカ岬も路線バスと電車を乗り継いで楽しんだ。リスボンのホテルは好立地の「チボリ・リスボア」にした。
ポルトへはリスボンの新都心駅から特急③(この写真はポルトからの帰途、午前6時前の撮影)に乗った。途中大学の町コインブラで途中下車し旧市街に行き駅前の喫茶店でスーツケースを預かってもらい(1個2ユーロ、勿論コーヒーも飲んだ)大学や市場などを見て回った。ちょうど収穫祭で町の広場に沢山の案山子(かかし)が飾られていた。穴蔵っぽい食堂に入り名物のイワシの丸焼きでランチをしていたらちょうどボーイスカウトの鼓笛隊がやってきて演奏してくれた。有名な店だったらしい。特急の走る本線の駅と旧市街は区間列車で結ばれていて4時間後の特急に乗り継ぎポルト(カンパーニャ)に夕方着いた。ポルトも旧市街は本線から離れていて支線に乗り変える必要があった。
ポルト旧駅(サン・ベント駅)室内壁面のアズレージョ④は有名で一見の価値があった。ポルトはドウロ川の河口に近いポルトガル第2の都市で、ドウロ川を船で運ばれてきたぶどうをワインにする醸造所が並んでいた。そのドウロ川沿いを走るローカル線には観光用の蒸機列車がピニャオンまで時々走るのだが、日程がどうしても合わずあきらめた。そのローカル線(キロハ+キハ×2)に乗って渓谷沿いをレグアまで遡り、ワイン蔵を見学・試飲をして船でランチをしつつ夕刻ポルトに戻るというツアー(英・伊・日の7名とガイド)に参加してみた。帰途の船は途中2か所のダムを水門で上下する仕掛けがあり、70メートルと30メートルの落差を下る体験をした。
ポルトのホテルは旧市街の川沿いのど真ん中にあるこじんまりした「ペスタナ・ポルト」を予約したところ、最上階(屋根裏)の川沿い角部屋という最高のロケーションであった。部屋からは正面にドウロ川、目を左に転じると上流側のドン・ルイス一世橋⑤、その上を走るニュートラム⑥が見えて、ということは⑦の写真に「ペスタナ・ポルト」も写っている。
ポルトにはこのニュートラムのほか、わずかだが古いトラム⑧⑨が走っていて、シティツアー➉も運行されていた。リスボンにも古いトラムが走っていたが、それについてはいずれまた。