毎回古い話ばかりで恐縮だが、35年前に廃線になってしまった別府(べふ)鉄道(兵庫県)に撮影に行った時のことを突然思いだし、写真を探し出した。
別府鉄道は1921年9月3日に別府軽便鉄道として野口線(3.7km、別府港~野口=国鉄高砂線に接続)が開業。1923年3月18日に土山線(4.1km、別府港~土山=国鉄山陽本線に接続)が開業し、この時点で貨物輸送の主体は野口線から土山線に移った。いずれも1984年2月1日に廃線となり、旅客数が少なかったことからバス転換は行われなかった。
私が訪ねたのは1977年10月10日(別府港駅入場券ほか参照)であった。土山線にはまだ混合列車も走っていたが、ここにはDB201がハフ5を引いて走る旅客列車①②を掲載しよう。住宅や団地そして工場が点在する路線だが、乗客は極めて少なかった。DB201は1965年三菱重工製造の小型ディーゼル機関車(DL)で、一回り大きいDC302とともに廃線まで働き、4.1kmを10分(貨物や混合列車は13分)かけてのんびり走っていた。客車のハフ5は神奈川県を走る相模鉄道の前身のひとつ神中鉄道が1930年に使用開始した元ガソリンカーで、三岐鉄道(三重県)を経て1959年に土山線に入った。当日は使われていなかったハフ7③は1926年に先述の神中鉄道の開業時に汽車製造で造られ、1970年代には珍しい二重屋根・オープンデッキの古典木造車(外板は鋼板化されていた)として有名だった。
野口線はディーゼルカーで運行され、その日はキハ2(元三岐鉄道のキハ5、日本車輌製造)が1日9往復のダイヤで働いていた④。色合いが何ともいえなかったが、最近の新京成電鉄は似たような配色になって、違和感があまり無くなってきた。
乗車券のうち中野ゆきは土山線のもので、地紋が別府鉄道の社紋である。野口線の藤原製作所前ゆきの券は当時の私鉄共通の地紋になっていた。