2020年東京オリンピック大会まであと9か月ほどとなった。しかし、私にとってオリンピックといえば55年前、1964年10月10日に始まった東京での第18回大会である。
国鉄はその月初め、10月1日に東海道新幹線を開業させた。多少無理があって「夢の・・・・・」と言われた東京-大阪3時間は実現せず、ひかり4時間こだま5時間の所要時間で朝6時以降毎時00分発がひかり、30分発がこだまだった。当初の計画より遅かったので、特急券はひかりが「B」、こだまが「C」と表示され、3時間運転実現の際に「A」を作るとのことだった。ここに示す特急券はこだまの1等券を除き、すべて開業初日の券で、上から2枚目のひかり2等券は上りの一番列車である。東京-大阪間が3時間10分運転になったのはその1年後のことで、夢の3時間が3時間10分になったのは、当初予定になかったひかりの京都停車を決めたためだそうだ。当時の説明では、一駅停車するのに、減速と加速で各5分余分にかかるとのことだった。今はそんなことはないだろう。
話はオリンピックの方である。新幹線の開業で失業したそれまでの東海道線の特急電車は山陽路に転じたが、オリンピック期間中、一部を活用して外国人観光客を主な対象に、東京-伊東間に急行オリンピアを運転し好評だった。記念急行券①やオリンピック特殊往復乗車券②が販売され、都電、都バスやトロリーバス③、都営地下鉄④でも記念乗車券が発売された。この全種を高校生の私はあちこち回って入手した。
千葉には準急しかない時代で、千葉駅で記念急行券を売っているのをしばらくしてから知り、私は10月17日に乗りもしない東京からの急行券①を買った。そして特殊往復乗車券②。これには10月21日の日付が入っている。その日私はこれを使ってオリンピックを見に行ったのだ。国立競技場、陸上競技の最終日だった。目の前をあのアベベ選手がさっそうと走ってゴールを切った。2番目に入ってきた円谷選手は眼前で英国のハートレー選手にかわされ3位となった⑤。マラソンの前には男子1500メートルの決勝もあった。
私はなぜそこに行けたのか。実は当時、各高等学校に文部省(現文部科学省)からオリンピックのチケットが配られた。どこに何が何枚かはわからないが、県立千葉高校3年G組では陸上のほか柔道やバレーボールなど希望の種目だけを選ぶ抽選が行われた。私は特別にオリンピックを見に行きたいとは思っていなかったのだが、抽選には「陸上」を選んで応募した。なんとその「陸上」は最終日の入場券で私が当選者になった。当日制服制帽姿で千葉駅に集合したのは3年A~H組から各1名と教師2名の10名だったから、この陸上最終日のチケットは母校に10枚配布され、3年生に割り当てられたのだろう。席は向こう正面の最上部、聖火台のすぐ近く⑥。それでもよくぞあの日あの場所に行くことができたものよと、今にして思う。
千葉から乗った総武・中央線直通中野行きの緩行電車はいわゆるロクサンで、車号はモハ72727と記憶(大学生になって通学でこの車両に乗ったとき、あ、あの車両だと思いだした印象深いナンバー)している。
来年のオリンピックでは鉄道はどんなことになるのか。混雑が心配され、時差通勤や自宅待機なども言われている。そんなことなど脇に置いて招致したのかもしれない。55年前のオリンピックは、東海道新幹線の開業や首都高速道路の整備などがセットで進められ、それなりに時代を築いた事業だったような気がする。