昨今、安価で栄養価の高い食材としてサバの缶詰が人気になっているようだ。そうだ、あれがあった。私は学生時代鉄道のものを幅広く集めていて、貨車の車票にも手を出していた。当時の貨物列車はいろいろな種類の貨車が1両ごとに行き先が割り当てられ、途中の大きな駅や操車場でつなぎ変えられしながら目的地へ貨物を運んでいた。その貨車のドアの下の方に、貨車の車号、積み荷、日付、発駅名、行き先などが上手な文字で記入された厚紙製の札が差し込まれていた。
終われば捨ててしまうのだろうからと、ある日、国鉄千葉鉄道管理局文書課広報係にお願いして集めていただいた20枚余りの車票が手元にある。その中に私の友人、イニシャルが私と同じでちょっと若い、札幌在住のKH君が「お客様はサバ様」と名付けてくれた車票(①)がある。貨車の車号は冷蔵車のレム618。レム400型式(国鉄資料写真⑥参照)の219号車。発駅は漁港のある勝浦。積み荷、つまりお客様は「冷凍鯖」。行き先はこれも漁港の町「銚子」。銚子には勝浦にはない缶詰工場がある。「冷凍鯖」は缶詰にされるために運ばれたのだ。11月3日とあるが、これは50年前のものだ。当時からサバ缶は安価だった。その缶の材料も銚子へ貨車で運ばれていた(②)。何と山陰の境港から銚子へ届けられていたのだ。
ついでに言うと、銚子は醤油の産地としても有名である。その醤油瓶の車票(③)もある。これは東武鉄道の西新井駅からで、荷受人に「ヤマサ」と記されている。そして醤油工場では大豆を煮るのに大量の石炭を使った。小学5年生の時社会見学で「ヤマサ」に行った時見聞きした記憶がある。その石炭は常磐炭鉱から銚子へ来ていた(④)。常磐炭鉱の最高級品、文字通り黒いダイヤといわれた「神之山鉱」の「特中塊」が使われていた。缶詰工場でも同じ石炭が使われていたかもしれない。現在は常磐ハワイアンセンターになったあの場所で石炭を掘っていた時代を知る人も少なくなりつつある今、たかが貨車の車票とはいえ貴重な資料ではないかと思うのは私だけだろうか。
これらの車票を付けた貨車をつないだ銚子行きの貨物列車は、C58型式蒸気機関車が牽いていた。銚子に向けて一つ手前の松岸を発車する姿が⑤である。ここには写っていないが、後方には冷蔵車⑥もつながっている列車だった。
改めて車票を見てみると、気軽にお願いしてしまった私に、かなり特徴のあるものを選んで集めてくださったことがよくわかる。今頃になって感謝している次第である。