私の目の前をC57重連が客車をひいて走る。蒸気を上げロッドはめまぐるしく動く。私は並走する電車からそれを見つめる。私はどこにいるのだ? 重連の先頭はC5730。ん? 関西本線? 名古屋のカマだ。次位はここからはわからない。雨に煙っている。右に緩やかにカーブ。やや登って堤防の先は鉄橋だ。おお、「一級河川揖斐川」とある。ということはこのクロスシート、近鉄の2200? そのまま並走。 私は旅の疲れからかうとうとしてしまった。
目覚めて「ああ夢か」と思った。
ふと気がつくと古い写真を手にしている。そうだ私はこれを見ていてうとうとし始めたのだった。
その写真、1968年10月4日16時18分、関西本線桑名駅2番線。この数分前まで私はある人に会いたいと桑名の駅前にいた。携帯電話のない時代、会うことはかなわなかった。あの時予定を変えて、何としても会っていたら、と思いながら写真を見ていた。もう半世紀も前の話だ。「ハチロク重連のお召列車」をお読みいただいた方は「おや?」と思われるだろう。そう、あの帰途、大垣から近鉄養老線で桑名に寄ったのだ。乗ったのは元近鉄南大阪線の特急かもしか号で有名な5800型4両編成だった。
冒頭のC57重連の客レは16時20分発名古屋行き916列車。郵便車や荷物車の前に軽量客車が1両つながっているのは、回送であろう。私は撮影後すぐに長い跨線橋を渡って同時刻発車の近鉄急行名古屋行きに乗った。この方が15分ほど早く名古屋に着く。C57が先に発車。20秒ほど遅れて近鉄が追走、猛然と国鉄線をオーバークロス、揖斐川手前で追いついた。が、C57も速い。小雨の中、橋上を並走したのは忘れえぬ情景である。夢では2200(昭和初期製造の名車)に乗っていたが、実際は当時の最新鋭、まだ非冷房だがラインデリア・ロングシート車の1810系5連だった。車号は記録していなかった。
今一度この写真を見つめてみた。50年前がよみがえる。やがて蒸気が上がり、汽笛が鳴って、石炭のあの太古の匂いがしてきた。桑名駅2番線。霧雨を感じてゾクゾクっとした。これは幻であろうか。
なんだかまたうとうとしてきた・・・・・・