私は60歳を過ぎた頃、便利の良い現在のマンションに転居したが、それまでは戸建て住宅に住み、私の書斎には鉄道関係のものがあふれていた。壁面には客車の側面に吊るされていた行き先札(サボ)が多数掛けられ、このほかにも数百枚が在庫していた。これらの裏面は、碇ヶ関行の裏は弘前行、富良野行の裏は岩見沢行といった具合で、特に廣島行の裏は中国山地の中央部「備後落合行」で大変珍しいものである。右下は北京からウランバートル経由モスクワ行国際列車の側面に誇らし気に掛っていたもの。マンションへの引っ越しに際し、収納しきれず泣く泣く手放したものも多い。
下に目を移すと、京成電鉄や新京成電鉄の先頭についていた、パタパタめくるといろいろな行き先が出てくるものや、蒸気機関車の形式入り大型ナンバープレート(79667)、さらに下の棚を見ると鉄道模型車両の入った箱もある。「信楽-貴生川」は方向幕の本体で奈良気動車区にいたキハ35のおでこにあったもの。あの近辺のいろいろな行き先が楽しめた。
これは1階リビングの壁面で、全倍サイズの大きな写真は、総武本線南酒々井で8620型蒸気機関車58684が牽く貨物列車の出発シーン。ナンバープレート「D5061」は私が特に好んだD50型式のもの。最後は釜石線を走っていた機関車で1964年に花巻で出会ったことがある。ケースの中にはそのD50やC51をはじめ1960年代の車両を中心に飾っていた。稲毛はかつての家の最寄り駅。展示ケースの上にちょこっと乗っているアメリカ型は、サンタフェ鉄道のブリキのおもちゃで、幼稚園児のころ親にせがんで買ってもらったもの。今は孫が遊びに来た時のおもちゃになっている。