蒸気機関車がまだ現役で普通に活躍していたころ、主に炭鉱の汽車を訪ねて幾度か渡道しました。
その時の写真を少しずつ整理してご紹介したいと思います。
① 北星炭鉱美流渡専用線
美唄炭砿の近くに、北星炭鉱美流渡(みると)鉱業所があり国鉄万字線(廃線)の美流渡と上美流渡炭山2.8kmを結んでいた。1967年10月18日の鉱業所と鉄道の廃止を前に、その夏の炭鉱巡りの旅のハイライトとしてここを訪ねた。国鉄の8100型8118が北海道炭砿汽船真谷地砿業所専用鉄道を経て1966年にここへ移り働いていた。真谷地時代は5052のナンバーで夕張線沼ノ沢と真谷地炭鉱を結んでいた。1965年の夏にその沼ノ沢で出会ったことがあった。2年ぶりの再会でそれを上美流渡の事務所で話すと美流渡までの片道、運転台に添乗させてくれた。この写真は、そのあと、ヤマ(炭鉱)へ帰る空の石炭専用貨車を目いっぱい牽いて夏草の茂る坂道を登る姿である。
② 鶴居村営軌道
尺別炭鉱から釧路の雄別炭鉱に向かう途中、釧路の手前、新富士を起点に鶴居村が運営する簡易軌道があることを知った。蒸気機関車はいないが、面白そうなのでそこへ立ち寄った。国鉄の駅の裏手に、小さなディーゼルカーが停まっていて、間もなく超小型ディーゼル機関車に牽かれた貨物列車が入ってきた。駅長は物静かな和装の老婦人で、やがて近所の子どもたちが5~6人集まってきて、皆の写真を撮ったりしてひと時を過ごした。旅客用の列車といってもバスより小型の車両が1台で走るのだが、ほぼ通勤通学用で朝夕に数本があるだけだ。それでも途中の下幌呂で雪裡(せっつり)方面と新幌呂方面に分岐する、結構長い路線を持っていた。この写真は下幌呂で、新富士から乗ってきた新幌呂行きが、西陽を受けて走る後姿。どこまでもまっすぐ続く道を子どもたちが犬と一緒に歩いてきて、何となく楽しげな光景だった。
① 紅葉山駅を出発するD51
D51767は蒸気に包まれてどこかよくわからないがここは夕張、炭鉱地帯の分岐駅。登川支線の隣駅は楓。風情のあるこの地には高校時代に知り合った友人がいて、1965年夏の撮影旅行の際には駅近のその友人宅に泊めてもらった次第。今は新夕張と名を変え石勝線の特急通過駅で夕張方面が支線となった。D51の牽く列車は夕張行石炭列車で積み荷はカラ。その分たくさんの貨車をつないで力強い発車だった。
② キューロク(9600型)が客車1両を牽いて
深名線(廃線)の朱鞠内行きを名寄と西名寄の中間で撮った写真。1960年代、普段はディーゼルカーのこの列車は、例年冬季(1/11~3/10)には蒸気機関車で運行された。郵便荷物合造の客車1台(貨物があるときは貨車数両)をつなぎ、名寄と朱鞠内の間を1往復した。この1本を撮るために半日つぶして名寄へ行ったのも懐かしい思い出。