• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

日本では明治維新以来5度目の流行が1960年に北海道中央部から始まっていた。1961年6月には流行の中心地は九州に移り、この年の発症者が1,000人を超え、このままだと年末には4,000人になると予測された。ワクチンの確保と投与は喫緊の課題だった。当時日本は米国にならいソークワクチンの実用化を製薬業界に依存していたが、なかなか進まなかった。ワクチン一斉投与の切実な願いが日に日に増していた。

米ソ冷戦の最中で、政治的にも異論が多い中、古井喜美厚生大臣(当時)は生ワクチンで実績を上げていたソ連(現・ロシア)からの生ワクチン緊急輸入に踏み切った。1,300万人分を輸入し、1か月という短期間に6歳(流行地では9歳)未満の子ども全員に無償で投与する、というものであった。冷凍・冷蔵保存が必須の生ワクチンの僻地への輸送手段や所要時間が実際に試行された。輸送には魔法瓶(絵入り印③)にワクチンとドライアイスを入れて運んだ。準備態勢を整えつつ、在庫に余裕のあったカナダから300万人分、新規製造のソ連から1,000万人分が入った。カナダからのものは今も使われているシロップタイプ(切手①)、ソ連製は直径1㎝くらいの砂糖の塊にワクチンをしみこませたボンボンタイプ(切手②)だった。ソ連はこれを僅か10日間で製造し日本に送ったという。創業10周年のスカンジナビア航空(切手④)が、取扱商社ごとに第1便に300万人分、第2便に700万人分を、客席をマイナス15度Cに冷房して運んだ。乗務員は真夏というのに分厚い防寒着を着て羽田に降り立った。小雨が降る中、関係者や大勢の母親とその子どもたちが出迎えた。

ポリオ問題に取り組んでいたNHKは当時の人気番組「私の秘密」にこの第1便の機長を登場させ、司会の高橋圭三アナウンサーは生ワクチンを口にして見せた。国民の不安は和らぎ一斉投与の成功に貢献したといわれている。この1,300万人一斉投与により、日本でのポリオ発症は激減し、その後の取り組みにより2000年に根絶した。
後に民間団体としてポリオ根絶への最大の貢献者となる国際ロータリーは、偶然にも1961年の5月29日から東京で第52回国際大会を開催していた(切手⑤)。ポリオに対し組織としての活動はまだなかったが、多くのロータリアン(主に医療関係者)がこの大会中もポリオ対策に奔走していた。緊急輸入実現の1か月前のことである。